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2012年12月 9日 (日)

あなたの信仰があなたをいやした

ルカ  8章40-47節
「長血」という病、辞書によりますと、子宮から血の混じったおりものが長期間出ることです。この女性の場合12年間もこの病が続き、前より悪くなるばかりでした。その上医者から見放され、すっかり財産を使い果たしてしまいました。   
 さらにこの女性を苦しめたのは、律法(レビ5:21)によって汚れた者とされ、社会から隔離させられたことでしょう。生きていても存在しない死んだような状態でありました。そんな中、この女性はたった一つの希望をあらゆる病をいやされる、「イエス・キリスト」に見出します。絶望的な女性に残されたたった一つの希望、それが「このお方の衣の裾にでも触れれば、いやされる」であったのです。しかしそこに大きな壁がありました。自分が汚れており、公衆の前に出ていくことができないからです。
 御衣に誰かふれ、自分の体から力が出て行くのに気づかれたイエス様は、自分の力が「盗られた」とお怒りになって立ち止まり、押しかける群衆を見回されたのでしょうか?会堂司ヤイロの娘はまさに危篤状態であり、一刻を急ぐ場合なのに、どうしてイエス様は、名乗り出るまでは一歩も退かない態度に終始されたのでしょうか?これは私が若い頃から抱いていた疑問の一つでした。
 女から言えば、律法を破ったという「出るに出られない」状況がありました。どれぐらいの時間が、沈黙が流れたのかわかりません。これは「怒られた」わけでも、状況をわきまえられなかったわけでもありません。ただ一つ、神に栄光を帰することにより、「罪」を赦し義とするためでありました。
 イエス様が「あなたの信仰があなたをいやし」と女に言われたのは、従来は女のJesus_29_2「御衣にでもふれたならば」という信仰のためであるとされてきました。しかし、もしそうならば、危篤の中、女の自白を待たれる必要はありません。女はいやしを得てはしても、それがイエス様の御衣にさわったからだとは、今後も公に言うことはなかったでしょう。しかしイエス様の決然たる態度を見た女は、隠しきれないと観念したのです。そして信仰の行いをしたのです。群衆という公けの前で、恐れにおののきながら、イエス様の足下に身をひれ伏し、余すところなくすべてを打ち明けたのです。
 聖書には「そこで、(マルコ5:34、ルカ8:48)」とあるように、女の告白に対し「あなたの信仰が」と言われ、賞賛されたのです。告白し「神に栄光を帰す」ことは、罪の赦しと義に決定的に重要なのです。まったく同じことが、十人のライ病者のいやし(ルカ17:12ー19)にもあります。ただ一人、神をあがめるために戻ってきた者にだけ、「あなたの信仰が」と語られているのです。
 いやしを得られたならば、その栄光を神に帰さねばなりません。その行いで神から義を受けるのです。いやしは体と共にやがてまた土に還りますが、神からの義は永遠の恵であり祝福なのです。どちらが決定的に大切か、おわかりですね。このことを心にしっかりと刻もうではありませんか。

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