いのちの使い方
† マタイ 10章39節
私たち日本人の多くは自分の命、人生をあたかも自分の所有物のように思っています。しかしほんの63年前までは、お国のために死ぬのが国民の義務でした。それより前は武士道があって、主君と家名のために死ぬことが当然であり、庶民は滅私奉公がふつうでした。ですから現在の日本人の自己中心の個人主義的な考えは、ごく最近のものです。「自分のために」という、このような生き方は誰からも尊敬されません。現在では退職した後の熟年離婚が多いようですが、家族を顧みないで働いてきた、その当然の報いなのかも知れません。
戦前の日本人にあったこのような犠牲的な精神、自分以外のために命と人生を捧げ
る・・・・というものが、結局実は、根無し草のように日本人固有のものではないことが明らかになったのです。物資不足が敗因だと懸命に経済に生き、手にしかけた豊かさには中身が肺っていませんでした。今やその豊かさすら失いつつあるのが日本人です。生きる柱を我が国民は失って、あわれむべき状態となっているのです。
このような時代は、これは日本弱体化へのアメリカの陰謀ととらえるのではなく、神の摂理だと私は気づくのです。なぜなら一人一人の日本人が・・・・まさに個人個人ですが、真に己の罪に気づき、悔い改めて神の赦しと愛、十字架の救いに立つ、そういうリバイバルへのお膳立てが整って来つつあると思うからです。
キリスト教内を見てもそれは明らかです。従来の教会は老人ホーム化してきています。聖書を信じてはいますが、まるで天国への保険のようです。そうではなく自分が死に、聖霊によって生まれた新しい人を通して、神の力と栄光が現されます。喜んで神に命を捧げ、神の奴隷、しもべとなりましょう。この世はせいぜい数十年のものなのです。命は永遠の使い方をしなければなりません。リバイバルの前夜の今こそ、切に求めていきましょう。
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