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2013年1月20日 (日)

祈りについて

ヨハネ15章7節
 今日、神への祈りが本当に答えられるとは、多くのクリスチャンは思っていないようです。この群れではありませんが、毎週の祈祷会では、なんと祈りが短く、ほとんどの時間が聖書研究やメッセージにあてられています。答えられる祈りを実際に見ることもなく、それが当たり前になってからも、それでも懸命に信仰生活を歩んでいるのです。しかし私はある事情が、必要が生じて、耐えられなくなりました。
 その時私は「こんなことならクリスチャンを廃業しよう」とすら思ったものです。しかしこは、神様がお昼寝されていたのでなく、100%私の信仰が問題だったのです。祈りとは、きわめて霊的なものなのです。もし祈りが聞かれない、答えられないという私と同じ様な方が居り、神との生きた交わりである祈りをせつに求めておられるならば、その方はチャレンジを受け、回復の時が来たのです。
 バプテスマを受けたばかりの少年がいました。少年の家は大きな山の背後にあって、そのため朝日が遅く差してきました。そこで少年は聖書にあるとおり、神様に「この山を動かしてください」と信じて祈りました。さて翌朝少年が期待に胸を膨らまして朝日の差してくる山側の窓を開けると、山はまったく変わらずにそこにあったのでした。少年は大変落胆をしたということです。
 このお話を聞かれてみなさん、どう思われたでしょうか?聖書は真実な書ではないのでしょうか?それならどうして神は、少年の祈りに答えて山を動かされなかったのでしょうか?答えはシンプルです。今日の聖書箇所にあるように、節の前半部分になんと書いてあるでしょうか?これは「神のことば」、つまり聖霊の臨在ですが、その人に聖霊が「とどまっているなら」と言っているのです。少年はかたく信じて祈ったと思われますが、しかしそれは結果としてですが、聖霊による祈りではなかったのです。少年は自分の思いで、早い朝日を見たいあまり祈ったのです。神様はドラえもんのポケットではありません。本人のためにならず、神の計画は妨害されるので、肉の祈りは成就しないのです。
 注意しなければならないのは、バプテスマを受けた時など、神様が手ほどきのようにつたない自己中心の祈りでも、ある範囲内で祈りを聞いてくださる時があることです。しかしいつまでも母乳を飲むわけにはいきません。霊と信仰は成長されるべきです。子ならば私たちは天の父を愛しており、そのご計画を自分の使命として果たしたいのです。この祈りは「御心の祈り」となり、神の栄光が現される、成就する祈りなのです。聖霊様がそれを教えてくださり、祈った瞬間に「かなえられた!」と成就することがわかるのです。聖霊によりて祈る御心の祈り、それは何でも祈ることはかなえられるのです。

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