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2013年2月 3日 (日)

信仰の土台である聖書

テモテⅡ 3章15~17節
最近当教会で「聖書」に関してのいろいろな学びがあり、この際「信仰の土台である聖書を正しく把握しておく必要が生じました。<逐語霊感>という言葉をおさえ、聖書への信仰的見方を学びましょう。
 神の言葉としての聖書を否定するクリスチャンがいます。その人たちの論拠は主に二つです。1:聖書がなかった時代にもクリスチャンは存在した。だから聖書を信仰の絶対的な規範とするのはおかしい。2:聖書には多くの誤りがある。たとえば女性牧Bible_07_2 師の問題でも、同じパウロが†ガラ3:28で「男子も女子もありません」と言っているのに、1テモ2:12では「女が教えたり男を支配したりすることを許しません」とし、誤りがあるとして誤りなき神の言葉=無謬性を否定するのです。
 1の見方について~では神の救いの計画、キリストの十字架は不要だったのでしょか?そんなことはあり得ません。聖書の主題はキリストなのです。その十字架によってこの後は主の年、恵みの年であり、神の救いと恵みはイスラエル民族から、異邦人の救いのなる時として大きく開かれ、まさに人類の歴史を画することとなったのです。聖書はキリストの救いの土台であり、時が来て私たちはその恵みの時代、聖書の時代を生きているのです。
また2の見方ですが、私たち福音主義の諸教会では原典において、逐語霊感と言って示を受けた者、またそれを筆記する聖書記者に対し、神は一語一語誤りなく神の言葉を書かせたと信じています。ですから聖書は原典においては神の言葉であり、聖書に誤りはありせん。すべて信じて信仰の規範として受け入れるに足りるものです。
 確かに指摘されているような、一見間違いかと思われるような所もあります。が、全能の神の言葉を有限なる人に過ぎない存在が判断できるのでしょうか?神の知恵は測りがたく、人の理性よりもはるかに優れているのです。特に女性牧師の場合、これは男性が立たない所においては信仰優先の原則が働くのであって、聖書に矛盾はありません。
 もちろん「原典においての無謬」ですから、翻訳においてはミスがあることでしょう。また手紙という形式においては、宛先の人々に受け入れらる内容であることが意識されていることも考慮されなければなりません。
 ただ一つ強く言えることは、聖書は誤りなき神の言葉であるという信頼なしにいくら読んだとしても、その真実と知恵と力は、読み手には理解も想像することもできない信仰の書であることは確かです。

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