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2013年2月17日 (日)

神の愛~天の御国へ

ヨハネ 6章14節
 あるHPのQ&Aサイトに「クリスチャンだけが天国に行ける?」という問いがあって、「イエス様はみんなを天国に行かせるために十字架にかかられたはずで、クリスチャンだけとは納得できない」というものでした。このベストアンサーはなんと次のようなものでした。Promise

 「クリスチャンのみが天国に入れるなんて、聖書に書いてありません。『こころのきれいな人は神を見る(マタ5:8)』のだから、仏教徒でも間違いなく天国に行っています」と。
 実は私もバプテスマを受けたすぐの頃、同じように思いました。周囲には私よりはるかに善い友だちばかりだったのです。なかにはこのことで、「狭い」「独善的」とクリスチャンを辞めた人さえいます。一見これはやさしい心根の持ち主のように思われますし、共感する方も多いことでしょう。

 では聖書は何と言っているでしょうか?先の例で言えば、自分は「心がきよい」と言いきれる人がはたしているのだろうか?と疑念を持たざるをえません。聖書は「すべての人は、罪を犯した(ロマ3:23)」「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい(ヨハネ8:7)」と言っています。
 つまり、罪を犯さないような「きよい」人は誰一人としていない、これが聖書が語り続けている真実です。「人は良いものであり、人を信頼し人に希望と未来がある」と思いたいのは山々ですが、聖書から見る限りこれは正しくありません。

 共産主義やヒューマニストたちは、人間を理想とした社会を実現できたでしょうか?とんでもない、彼らは同国人を大量に虐殺し、恐怖で縛る魔の帝国をつくりあげているではありませんか。罪ある私たちすべての人のためにキリストは十字架に架かられました。十字架はすべての人々のためであり、信じるならすべて罪を赦され、洗いきよめられレて罪から救われるのです。罪有るままでは天国へ行ったのでは、そこは現状と同じで、決して天国とは言えないでしょう?そういう意味で、クリスチャンに天の国が開かれているのです。

 次にクリスチャンはみな天国へ行けるのか?と言うことについてですが、これについて「『主よ主よ』という者がみな天の御国に入れるのではなく、天にいますわが父の御心を行う者だけが入る(マタ2:21ー23)」から「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる(ロマ10:13)」まで異なった見方があります。信じたら全員天国へ行けるはずだと思っている方には、これまたどうにも腑に落ちない話です。
 前者では信じた「救い」とは罪が赦されることであり、聖霊が内住されるのですが、聖霊の支配がその人に確立され、御心を行う者となる前段階に過ぎないという見解です。確かに「御心」の何たるかもわからず、相変わらず自分中心の生き方をしていたのでは、「幼な子」的な存在でしょう。ただ神中心の信仰生活は自分の力でできるものではなく、聖霊のバプテスマを受け、肉が死に、聖霊の働きによって新しく生まれかわるのです。そうすれば「御心」もわかるようになるでしょう。

 後者は、クリスチャンはみな天の御国に入れるのであり、入り方に差があるとする見解です。みな入れるのですが「建物が焼け、損害を受け・・・・自分自身は火の中をくぐるようにして助かる(1コリ3:15)」のです。これは明らかに天の御国への良い入り方ではありません。クリスチャン全員が入れたとしても、永遠の住まいで大きな差があってはたいへんなことです。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者それを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マル8:34-35)

 終末のこの時代です。クリスチャンは確実に携挙されるように心がけましょう。また御心を行うためには聖霊の支配が日々実効されていることです。これは共通しており確かなことなのです。

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