世界が驚いた奇蹟(浦上の信徒発見)
† ヤコブ 5章11節
歴史のおさらいをすると(表参照)驚くことは、長崎、浦上地区での宣教はせいぜい30数年ぐらいだということです。それなのに彼らはその後250年、帳方(指導者)七代にわたる長い長い年月、隠れキリシタンとして信仰を守り通したのです。
はじめてキリシタンが発見された時、世界は驚きました。この背後には帳方ー水方ー聞き役という組織とバスチャンの日繰りという復活祭、降誕祭のカレンダーがありました。しかし最大のものはバスチャンの預言にあったと私は思うのです。
バスティアンの預言とは、七代までは霊魂が守られるが、それ以後は困難になる。大きな黒い船に乗って司祭がやってきて、毎週でも告解ができるようになる。どこでも大きな声で賛美し歩ける時代がくる、と言うものでした。
幕末の世、開国によって長崎の居留地である大浦に、黒い大きな船で司祭がやって来ました。そこに教会堂(国宝大浦天主堂)が建てられました。まさにバスティアンの預言が成就したような状況になったのです。こうなると、どんな困難があったとしても、浦上の人々はもう我慢することができませんでした。「黒船の人と一つになれ」という伝承もあって、浦上の人々はプチジャン神父に「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と信仰を告白したのです。
こうして世界を驚かした信徒の発見は同時にキリスト教禁制下、3千人以上の一村総流罪という大迫害=「浦上四番崩れ」の始まりとなったのでした。
1865年の信徒発見から二年後の1867年、仏式の葬儀を拒否したことから端を発して、遂に68人の信徒組織の代表が幕府の命を受けた長崎奉行所によって捕縛されました。この結果ただ一人転ばなかった高木仙右衛門は、病気がちで迫害にはもっとも適さない人でした。しかし仙右衛門は、毎週断食し迫害下で信仰を守ってくださるように祈っていました。それ故自らの力に頼るのではなく、神に祈り、頼るならば、迫害を恐れることはないのです。
仙右衛門だけが免れた中、転んだ全員は村に入れてもらえず、悔い改め、全員殉教を覚悟しての「信心戻し」をしました。結局このことで、三千名以上の一村総流罪の大迫害が始まりました。この時はすでに明治新政府となっていましたが、天皇護持の国家神道を奉じた明治新政府が、600名以上の浦上殉教者を出した、苛烈な迫害者となったことを忘れてはなりません。
しかし世界は浦上の人々を忘れてはいませんでした。不平等条約改正を目的とした岩倉使節団が、欧米中のどの国に行っても国家元首から迫害の誤りを諭され、一歩出ると「ウラカミ、ウラカミ」と叫ぶデモ隊に取り囲まれたからなのです。こうして使節団は帰国直後、不平等条約改正のためにやむなくキリスト教御禁制の高札の撤去したのです。
262年の年月を経て、ついにバスティアンの預言は成就しました。私たちの信仰の自由は、歴史を見る限り、浦上の人々の血で買い取られたものなのです。
ふだん仏式の葬儀や法事などがありますが、その歴史を見る時、これらは私たちを迫する為の装置として用いられました。世にではなく、神に従った対応をしなければ、天の神様に対してどのように申し開きをすればよいのでしょうか。毅然とした対応が必要です。そのことをこの度、示されたのです。いつも心を「天」に向け、御心を為すために世を生きるのです。日々の祈りこそ、私たちの力でなのです。
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