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2013年3月17日 (日)

私ハイッタイ、誰ノモノデショウ

マルコ12章17節

  英語学習で「have」とか「whose」とかの所有をあらわす言葉で困った方は多いことでしょう。今日のテーマは「私はいったい、誰のモノ(所有)になっていますか」です。永遠から見れば、血肉のこの人生はほとんど一瞬です。そして体の命が終わった時、それぞれの持ち主に戻されて行きます。神のものは神に、そうでないものはそのように。

 白馬でインドのベンジャミンさんが「Remember who you are」と繰り返し言われました。確かに私たちは「父によって選ばれ、子によって贖われ、聖霊によって証印を押され」ており、私たち神の子なのです。私たちが帰って行く神の国は、たとえようもないほど素晴らしい所なのです。神のものとして歩む時、不安や恐れはもはや私たちを支配しません。
 ところが世のもの、どんなに富や力、名声があったとしても、それで平安はありません。かえって不安や恐れが増大しセコムやいくつもの鍵が必要です。盗まれるものがあるからです。こうして世のものを何一つ持って行くことのできない所へ行くのです。これは愚かです。
 私たちが神のものである時、根本的な価値観の変革が起こります。聖霊様が支配されると、この世は光を失い、価値を失います。また聖霊の働きで人を愛することができます。悪いことができにくくなります。いっさいの嘘すら言うことができません。

 このような神の子としての恵みを受けて大切なことは、「証人」となることです。ただ本当に神によって変えられていないと「お前それでもクリスチャンか?」と言われることになります。それを恐れて私は隠れクリスチャンでした。ですからクリスチャンと周囲に告げている方がはるかに良いことです。なおかつ望ましいことに、その人が聖霊によって生きる人であれば、人々はその人を通し、神を見、知ることになるのです。それを熱望する者なのです。
 血体の体や置かれた環境は確かにこの世のものであっても、神のものとされた私たちは、すでにこの世のものではありません。なぜなら世においての目的が、神の国とその永遠の証人として立たされているからです。国籍は天にあるのです。私たちは与えられた使命のために世に遣わされており、その使命を終えたならばただちに本来の帰るべき所に帰って行く、そういう存在なのです。神がくださった命であり、体なのですから。世での命はそのために用いるものなのです。実際「どうぞこの命を、雑巾のようにそのために使ってください」と祈る者に変えられて行くのです。そしてただ神を愛し、御心を果たしたという感謝と喜びだけを持って帰るのです。

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