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2013年3月 3日 (日)

聖霊の証印

Benjamin エペソ1章 13-14節

 証印とは古代世界から今日に至るまでの印鑑です。サイン中心の欧米人より、東洋の私たちの方がよくわかるものです。契約書を作っても、そこに押印がないと無効です。要するに印とは確実であることの印であり保証なのです。ですから聖霊の証印とは、この世を去ってから、後の神の国行きが、「確実」であるという保証の印ということです。

 聖書では、聖霊がその人を支配し、満ちていることを言います。別な言葉で言えば、新しく生まれた者であり、御国を受け継ぐ神の子、神に聞き従うしもべなのです。このことを一昨日の白馬でベンジャミン師(写真)は、「天の父によって選ばれ、子によって贖なわれ、聖霊によって証印を受けた」と何度も言われました。神を信じる者とはそのような者であり、すべての権威と力が与えられ、敵を打ち砕くものである、と。

 なぜこれほどまでに価値があるのでしょうか?それを少し考えてみたいと思います。私たちが属する世界は、星々と月と太陽との規則正しい天体の運行があり、全宇宙を探しても見いだせない唯一の比類のない地球という物質の惑星にあります。しかもそこに驚くべき「生命」を神は賦与されました。どこの世界に1が1000倍になることがあるでしょうか?しかしお米一粒がもし死んで実を結べば、1000粒の収穫があるのです。命は驚くべきものです。これら命の頂点に神は人をお造りになっただけでなく、霊をも吹き込まれました。いいえ逆に、この人のために、森羅万象のすべてを備えられたと言っていいでしょう。

 人に魂と霊とを与えられた神には、一つの目的がありました。逆説的ですが、見える物質、世の富と悪しき霊のただ中に、あらかじめご自分が定められ選ばれた子を同じように生まれさせ、育てさせ、世の試練を受けさせてなお、霊なるご自分を選ぶようになる霊を求められるのです。いわば今の見える世界はすべて、その聖徒ための試験場のような役割をはたしているのです。
 一見して見えないが確かにある世界、物質を超越した永遠の世界を選ぶという、世的には非常に愚かな選択をする者を得る為に、物質の全世界は造られ、存在するのです。それ故にその役目を終えるならば、千年王国の終わりですが、消え去らなければならない世界なのです。

 さて皆さんは御国のパスポート、聖霊の証印をお持ちでしょうか?証印がないと、これはかなり不安ですよね。ではご自分がその証印を持っているかどうかのチェックポイントを考えてみたいと思います。
1、聖霊への「飢え・乾き」があるでしょうか?朝のデボーションを欠かしても平気という方は、これはレッドカード状態です。
2、「謙遜」さはどうでしょうか?聖霊様が自分を支配しておられますと、ただ天の御父の意向が気になり、自分の意向になります。よく「同一視」というのですが、この場合、一般的に自分自身についてはどううでもよくなって、自然に謙遜になっているものなのです。
3、「祈りが聞かれて」いるでしょうか?聖霊による祈りは、当然御心の祈りですから、聞かれて成就するのです。このような場合、祈れば「山が動く」のです。もし成就しない祈りばかりであるなら、それは肉的な祈りをしており、聖霊様の支配が為されていない状態である可能性が高いのです。

 「聖霊の証印」これは決定的に重要です。以上申し上げた点が不確かであるなら、悔い改めて神におすがりし、生まれ変わり、神のものとされる熱い祈りを捧げ続けましょう。決してそれを止めてはなりません。成就するまで、またたとえ成就しても、捧げ続けましょう。  ケパ

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