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2013年3月10日 (日)

聖霊のバプテスマ・・・それは力

使徒の働き11章15~16節

<力> 聖霊のバプテスマとは、神を信じる者に、神ご自身の霊がその人の主として住まわれるという驚くべきことであり、その最初の満たしのことを指します。これはイエス・キリストによって約束されたものでした。そしてこれはキリストご自身が「聖霊があなた方にのぞまれる時、あなたがたは力を受ける使徒(1:8)」、「いと高き方から力を着せらる(ルカ24:49)」と言われたように、神の「力」を受けることです。Pentecost_25

<聖霊の力> この「力」とはどのようなものなのでしょうか?「わたしを信じる者はわたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行いヨハネ(14:12)」とあります。さらに聖霊は「いつまでもあなたがたと、ともにおられるため(ヨハ14:16)」とあるように、私たちが罪を犯し、高慢にならない限り、去って行かれることはなく、いつまでも私たちと共に居られるのです。神さまは「取り去る」という選択肢お持ちではないのです。これは確かなことなのです。サタンは「聖霊がもう私から去られた」と思わせたいのです。この策略に決して乗ってはいけません。神がいったんご自分の子とされて、どんなに子が不義理を重ねようと、見捨てられ孤児にされることは決してない(ヨハ14:17)のです。

 そしてこの方(聖霊)は真理の御霊(ヨハ4:17)なのです。聖霊に従う者は世におもねったり、裏表のある行動はできません。嘘を言いたくても言えないのです。借金とも無縁です。なぜなら足りて満足しているからです。神の霊とはそのようなものです。酒もタバコも、やめようとしてではなく、気がついたら飲んでいなかったのです。これらが聖霊の力と言われるものです。

 助け主なる聖霊はすべてのことを教えます(ヨハ4:26)。聖霊が書かせた書物である聖書は、聖霊の導きによってこそ、最適の解説者を得たと言うべきでしょう。まったく次元の違った聖書理解が進みます。興味深いことに、偽預言者とか異端の指導者の聖書解釈はどれも似通っていて、自分勝手な解釈を施し聖書の真理からかけ離れたことを説きます。それらを聞いていると、よほどマインドコントロールされていれば別ですが、全く聞くに堪えないものです。聖霊のバプテスマを受けて後、聖霊の助けによるまでは、聖書通読は難行苦行でした。今は聖霊の導き手があるので、一転して楽しいです。

 聖霊なる神には平安(ヨハ4:27)があります。平安がない方、そのような方は、ほとほと自分自身に愛想が尽きたでしょうから、もう神さまにますますご自分を捧げてください。すべてを捧げるのです。すべてでないと意味がありません。高慢が敵につけ込ませる隙をつくってしまったかも知れません。神の器が敵の手に陥った時に受ける裁きは、格別厳しいのです。また不安や恐れが襲ってきたとき、それは神からのものではありませんから、「イエス様Help!」と神さまに叫びましょう。子が父に助けを求めるならば、必ず助けてくださいます。私たちの父なる神は、サタンよりはるかに優るお方なのです。それから悔い改めや求めの祈りをしてください。

 このようなすばらしい神の力をもたらす聖霊のバプテスマ、私は何年も何年も求め続けて、それでやっと与えられたのですが、比べればのたとえですが、それまでの人生がくずかゴミ箱と思えるほど、はるかに価値のあるもの、聖書にあるような宝が埋まっていた畑を見つけたようなものでした。帰って自分の持ち物をすべて売り払ってでも手に入れるものでした。

<定義> このような聖霊のバプテスマは、教派によっては洗礼と同時に与えられるとか、洗礼や堅信礼を引き上げるものとかの説明がされますが、聖書では同時に与えられる稀な時もありますが、「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」とは明確に区別しています。

<異言> またペンテコステ派においては、聖霊のバプテスマの現れを「異言」と結びつけているのが特徴です。異言とは一つの言語であり、知らない外国語です。ですから意味があるのですが、解き明かしの賜物によって語られるものです。
 声の大小、やめることも含め、語る者がコントロールできます。異言とは神に向かって語るものであり、霊の戦いの武器でもあります。異言と は自分の徳を高めるものであって、教会などの公の席で、解き明かしがない状態で語られても意味をなしません。使徒パウとは明確に異言を語るより、預言を語ることを薦めました。

 だからといって異言を軽んじてはなりません。異言は神の霊が語らせているのであり、平安があり、力があります。長い時間異言によって祈ることができるのです。日々の生活の中で、異言がいつも出てくるようにするならば、サタンにやすやすと入ることはありません。わたしはぶどうの木であり、わたしの枝にとどまっていなさいと言われた、その平安がありますように。神の賜物を用いることは、常に御心なのです。

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