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2013年4月21日 (日)

人生の勝利者

詩編23篇6節
 この日本という国は、世界で指折りの安全で豊かな生活をしています。けれどもカンボジアの孤児院を訪れ、職業柄、孤児たちの笑顔を見てからショックを受けたものです。日本の子どもたちにあのような笑顔はほとんど見かけないのです。彼らは生命すら危うい、どん底の状態を経験していたにも関わらず、です。

 大恐慌の少し前になりますが、1923年に世界で最も成功した財閥たちがシカゴのあるホテルに集う機会がありました。ウォール街のドンや最大の鉄鋼会社、最大の専売公社、国際セツルメント銀行などの社長や頭取たちです。彼らの富は当時の世界最大の大国アメリカの国富より多かったかもしれません。しかし25年後、彼らの何人かは刑務所暮らしであり、大半はすでに自殺をしておりました。彼らはお金儲けの達人ではあったかもしれませんが、人生の達人ではなかったのです。
 人間は自分を超越したものを信じ、忠誠を尽くす存在なのです。そうでなければ生きていても意味は無いし、滅んでいくものなのです。人生に究極の意味と目標を与えてくれる存在、それは三位一体の神しかあり得ません。人間はみな、個人的に神を知り、体験する必要があるのです。

 もしあなたがある日突然、会社が倒産したり、愛する子を事故や病で失ったりしたら。また少しも疑ったことすらない人生のパートナーが「ノラ」のように家を出て行ってしまったり・・・・そんな時にどうしますか?しかしどのような困難にも私たちには神様がおられます。世が私を棄てようとも、この方は決して見放されません。それどころか彼の内にすべての鍵があり、敗北はありません。キリストと共にあるなら、罪の全き赦し、平安、喜びがあり、人生の勝利である永遠の命があります。どうかこの神を信じ、受け入れてください。

 私のことを申し上げますと、40歳から14年にわたって苦しみを受けました。この世で一番大切にしてきた家族、打ち込んできた仕事、それらを一つ一つなくしていきした。最後には「希望」すら私には残っているように思えませんでした。生きてはいましたが、死んだも同然でした。この死んだ者を神様があわれまれて、愛の言葉をくださったのです。その瞬間から私は生まれ変わって全く別人になりました。神の絶大な価値の故に、失っていったすべてのものが糞土のようにつまらないものに思えました。同じ姿かっこうをしていと思いますが、もう神様のことだけを考える者・・・・そうです、御心だけを追う者になりました。かつての自分中心の心に戻ることは、決して無いと自分で分かります。確かにこの世では敗残者でしょう、しかし私は永遠の命を聖霊によって確信しているのです。そして天でまことの父に会える日を、心待ちにしているのです。私の力によってではなく、神の愛とあわれみによって、私は世に勝るものを求めているのです。みなさん、これが勝利でなくて何でしょう。

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