神の国とエデンの園
† ルカ17章20ー21節
エバが善悪の知識の木から、その禁断の実をとって食べてからというもの、人類は
永遠に失楽園状態になったと思うのが普通かも知れません。そのエデンの園は、何よりも神様との交わりの場でした。今日みなさんにお伝えしたいのは、エデンの園は今日姿を変え、この地上に復活していることです。
聖書では次のようにこのことを伝えています。
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。(マタ11:12、参ルカ16:16)
天の(神の)御国とはもちろん神様と親しく交われるところです。つまりエデンの園が再びこの地上に現れる、それを渇望する者たちが得ているとキリストは言っているのです。言葉を変えて聖書では次のように言い表しています。
イエスは答えて言われた。「-略- 人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。(ヨハ3:3)
これは言い換えると「新生するならば、(あなた方は世でも)神の国を見る」と言われているのです。さらにその新生とは同5節には「水と御霊によって生まれ」るとあります。これはヨハネがした悔い改めの水のバプテスマを指しますから、求める人の悔い改めの上に、聖霊様の働きによって新しく生まれるのです。人は新生するために自分のどこを、どう直したら良いか分かりませんし、たとえ分かっていたとしても実際に直す力がありません。ただ神が御心のままになされるのみです。
みなさんの中には聖霊のバプテスマを受けられた方も多いことでしょう。しかし今日私が危惧しますのは、それが過去の一回だけのメモリアルに留まってしまったり、もしくは数度かも知れませんが、しかしその後日々、神と交わる場を失っている人が多いことです。しかしそれでは、あこがれの学校にパスしても、入学式の翌日から全く学校へ行っていないようなものです。せっかく入学してもあまり意味がありません。聖霊のバプテスマとは、聖霊に満たされる最初の現象を言いますが、その後も日々あるのです。かつてのエデンの園でのように、毎日のように神様が来てくださり、アダムが交わっていたようにです。
確かにエデンの園と新生とはだいぶん異なっておりましょう。しかし、神様と親しく交わるという本質は全く同じです。永遠のいのちの木のある園、エデンの園は確かに地上の私たちのただ中に再び来ているのです。はっきり言えることは、信仰的の確信は、神と日々交われる神の国の確信、その個人的な体験、ここにあると言うことです。
「-略- いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ 17:21)
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