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2013年6月16日 (日)

教会はキリストのからだ

エペソ 1章20~23
 牧師としてこれまで人から相談を受けたり、時には「祈ってください」とリクエストされることがありました。その中のある方の例ですが、非常に経済的な困難な状況で、ずっと苦しんでいらっしゃるのです。その中でカリスマの信仰も求めておられ、時には東京カリスマ聖会に出席されたりアンテオケのホームページを観ていらっしゃるようです。それである時、こう言われるのです。アンテオケ教会のホームページに絶大な人気の「クリスチャンの寄り道」と言うのがありますが、こう言われるのです。「『クリスチャンの寄り道』にはいっぱい祝福があるのに、どうしてわたしにはないんでしょうか?」と。
 わたしは言葉に詰まって、一瞬「神さまにどう答えたらよいのでしょうか?」と祈ると、「はっきりとその訳を言いなさい」と示されるんです。それで言いにくかったのですが、その方にズバリ、次のように答えました。
「あなたは教会に来ておられないので祝福がないのです。教会はキリストの体ですので、体に伴う実際的な恵みが注がれないんです」と。

 確かにキリストのみ体である教会に属するのと属さないのとでは、大きな違いがあるのです。なぜなら教会とは「キリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところ(エペ 1:23)」です。ここに居られるみなさんは、お一人お一人がもはやキリストの体の一部(1コリント6:15)となって教会に属しています。逆に言えばキリストの体の一部とならないことには、霊的にはともかく、実体がない幽霊も同然です。教会に属して信仰の実質が、祝福の実があらわれるのです。

 教会という御体につながることは、十戒の3条を除く十戒の第1条「神は唯一である」から4条の「安息日」までをカバーします。殉教した代々の聖徒たちは、命をかけて教会に集い、礼拝を守ったのです。
 わたし事ですが、信仰がカリスマ派になるに及んで、元の教会に属することができなくなった時期がありました。その時の霊性の落ち様は破滅的なレベルのものでした。教会に属していないで健全な信仰というものは、その時あり得ないことを身を以て体験しました。みなさん、教会に属していない、愛する兄弟姉妹のために祈りましょう。その多くは真の神を見い出せず、自分中心の実のない信仰のままです。また教会の人間関係に躓いたのかも知れませんが、それで教会に行かないというのは、完全に誤った選択です。神様に自分の教会を導いていただく祈りをするべきでした。一度は光を見た愛する兄弟姉妹よ、教会に戻りなさい。その迷える魂を神に委ね、従いなさい。私たちも熱心にとりなしの祈りを捧げましょう。

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