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2013年8月18日 (日)

試練という神の愛

ヤコブ 1章2節
 今夏の秀作映画の「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」に、共通して男女の愛が描かれていました。出会いがあり、いつしか恋になり、困難を乗り越えて互いに結ばれていく・・・・というパターンは昔から変わっていません。
 若いみなさんにとっても、これは他人事ではないかも知れません。映画では上等な恋愛を見せてくれますが、多くの場合、相手を愛しているつもりでも、自分の夢を相手にかぶせているだけで、本当に相手を見て愛したとは言えないケースが多いのではないでしょうか。夫婦の隙間や不一致、こんなはずではなかった、家庭内離婚は、相手そのものを見ようともしなかった自分の方にも原因があるのではないでしょうか?また人はまことに不完全なものです。自己中心で、どうにもならないのが自分なのではないでしょうか。

 ですが、イエス・キリストという本当の神を信じてください。この方は真実、人間を愛し、究極の愛、十字架にかかってくださいました。人間をそこまで愛してくださる神は他にいません。天地を造り今も生きておられ、人間に語りかけ愛していてくださっている神、この方を信じることによって最善の道を歩むことができるのです。ただ多くの人の場合、信じること、それは自分の考えよりも神の導きを選ぶことなのですが、その自分を捨てきれていないのです。Cgg17
 しかし安心してください。できないからこそ、試練があり、そこに神の矯正プログラムがあって、試練の先に祝福を受けるものとされていく・・・・・・試練を感謝する土台がこれです。

 その結果はどうでしょうか?試練の激しい炎は、肉なる自分を焼き、どうにもならない自我を完全にでは有りませんが、それ以上に神の御心の方が勝りたるものとして選べるようになるのです。ちょうど「製鉄所」の溶鉱炉が、鉄鉱石といって、石の中に混ざり込んでいる鉄分を石炭を蒸し焼きにしたコークスと一緒に激しい炎で焼きますと、石の中の鉄分が溶けてドロドロになって出てくるようなものです。真っ赤に燃えて鉄が抽出されるように、試練という溶鉱炉が人を純粋な鉄分、聞き従いのできるものへと変えてくれるのです。これは祝福の土台ではありませんか? また神が試練を通されるのは、不従順な者を用い、高慢になり、却って地に落とされることを考えましょう。試練によってでしか神中心に新生することはできません。まさに試練こそ神からの愛であり、この上ない喜びとなるものです。

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