フォト
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 神の愛 Part2~神の言葉を行う | トップページ | 良い忠実なしもべ »

2013年10月20日 (日)

いのちの書

黙示録 21章12節
 先週、牧師夫人のご母堂が92歳で召天されました。信仰を告白され、洗礼を受けておられましたが、教会生活をする、あるいは遺言をするなど明確な形で意思が見つからなかったため、仏式での葬儀となりました。ご存知のように、個人の意思が特にない場合は喪主の意向で決まります。もちろんこれは、ご母堂の天国行きになんら影響の無いものです。ですから葬儀などどうでも良いと考えがちですが、今回「今後できたらよい」ものとして大変参考になる経験ができました。これも神様からの学び、示しだと思い、語らせていただきます。

 かつてこの国があわやキリスト教国になろうかと言うほど、キリスト教徒が増えた時代がありました。しかし封建制度のこの時代、神の前に人はみな平等であり、永遠のいのちを守るため、たとえ殺されても神に従おうとうするキリスト教は時の権力者には相容れないものでした。豊臣や徳川の幕府政権は、我が国未曾有の大弾圧、大迫害をおこなった結果、少なくとも総人口の1%の30万、最大3%の百万人のキリシタンを拷問の上殺害、刑死させました。

 二百年以上の時を経て、浦上や天草などに隠れキリシタンが見つかったことは、奇蹟として世界に報じられました。発見されたキリシタンへの迫害は続き、明治新政府によって一村総流罪となり、西日本各地の流刑地であらゆる拷問を受けました。しかし世界中の人々にこれが伝わると、不平等条約改正を目指した岩倉具視一行が行く先々の国々で常に抗議の出迎えを受けるようになり、とうとう政府亜は迫害を中止せざるを得ませんでした。
 隠れキリシタンがどうして発覚したのか、そのきっかけは仏式での葬儀を拒否したからでした。長崎に預言通り、コンヒドー(カトリック司祭)がやって来て大浦天主堂が建ち、その司祭から信仰を回復した彼らは、仏式での葬儀に耐えられなくなったのではないか、その最大の原因、それは過去帳である、そう今回気がついたのです。

 この度葬儀の後、位牌を菩提寺へ返しに行くことになりました。飲酒していない私は喪主家族と共に、位牌堂へと招かれて入ったのですが、そこで見たものは、地域ごとに整理された実にたくさんの位牌の群れでした。位牌とは死者の霊が宿っているものとされています。目に見えるものしか信じることができない哀れさを感じましたが、その中に入っている過去帳こそ、恐るべきものです。
 過去帳とは徳川幕府がキリシタン取り締まりのために、宗教戸籍の義務づけとして全国津々浦々に強制したものです。目的は菩提寺を設定させ、仏教門徒になることを強制し、これに応じられないキリシタンをあぶり出すことでした。

 過去帳は菩提寺としての必須のものでした。一家族ごとに一冊あって、仏への信心が頭書きにあり、代々の家族の法名(戒名)と俗名、没年月日が記されています。これは家の宗教として仏教徒であることを証明するものです。キリスト教徒にとって、「いのちの書」でなく、この過去帳に名が記されることは「非常にまずい」と示されました。

 ですから私はこの度の葬儀からたいへん教訓を得ました。信仰を日頃からはっきりと告白し、証し続けていくことの重要性を、です。またこの国には、このような暗闇の亡霊が過去から今に至るまで支配し続けており、多くの人はそれを知りません。私たちはこの悪しき習慣と支配する悪霊と対決し、闇に閉ざされたこの国を開放しなければならないのです。神に依り頼みましょう。神に不可能はありません。 ケパ

« 神の愛 Part2~神の言葉を行う | トップページ | 良い忠実なしもべ »

聖書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/592434/58458480

この記事へのトラックバック一覧です: いのちの書:

« 神の愛 Part2~神の言葉を行う | トップページ | 良い忠実なしもべ »