良い忠実なしもべ
† エペソ 6章:6-7節
「信仰を実生活に適用して使命を全うする」
聖会である姉妹から「私は自分のしたいことをしたいんです。ある計画があって、その通りになるよう神様が私をサポートしてほしいと思っています」と相談を受けました。これは自分の計画が主で、神様が支援にまわっています。神様との位置関係が違っていると思いましたので、私は「それは少し賛成できません、私たち神を信じる者は神様の御心を行うもので、私たちはそれに従う存在なのです」と申し上げました。
神を信じる人の特徴には、罪の赦しがあり、謙遜であり、神の声を聞く、癒やしなどの賜物、神の栄光、聖霊の内住があります。しかしこれらは神様との関係から現れてくるものであり、その関係とは愛です。しかしこの関係は対等な関係ではありません。神様が主であって私は従、しもべなのです。
もっとはっきり言いますと、信じる者とは神の奴隷であって、神への愛ゆえ、すすんでそれを選び取った者なのです。サタンの支配から神の支配へと移った存在です。田畑を耕す二頭の牛にくびきをかけますが、もし二頭の力が対等なら互いの行きたい方向が譲れず、1−1=0でまったく仕事にならないようです。しかし力の強い牛をメインにし、もう一頭が従順なら、ちゃんと1+1=2の仕事ができるのです。そのように父と子、神と私に対等はあり得ませんし、その逆は権威と秩序に反した不自然なものであって、神の力は現れません。
神を信じる者にとって主人は自分では無く、神です。それを新しく生まれる(新生)とか、Born-again Christianとか言います。訪ねてきたニコデモにイエス様が「人は、新しく生まれなければ(ヨハネ3:7)」と言われた通りです。しかしその最大の障害は自分であり、プライドであり、高慢です。大切なのは強制されてではなく、絶大な神の愛の故に、すすんで神の奴隷となるのです。これは恵みであり、真の謙遜から神に仕える、聞き従うことをまっとうして行くのです。
神を信じる人の特徴はいろいろありました。しかしたとえばブドウの房のように、豊かなその実はすべて枝からの芯につながって実を結んでいます。いろいろあってもその中心とは、つまりブドウの芯ですが、それは愛です。愛こそ一切の基なのです。神のものとなるのは、神への愛なのです。
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