喜びなさい
† ピリピ4章4節
「感謝」はリバイバルの「鍵」である。
しかしその土台としては「聞き従い」があった。私たちの群れがマーリンさんの感謝の継承者であり、これまで不思議とマーリンさんと一致していたことは、この「聞き従い」の土台が同じであった故であった。「すべては益となる」この御言葉は、聞き従った上での結果なのであって、「聞き従い」がなければそうはならない。私たちはマーリンさんの感謝を継承し、リバイバルの鍵を開いて行く。
今年度の「喜び」とは、この聞き従いと感謝のさらなる段階、実をつけるべき段階である。我々は確かに感謝しているが、真実に、心からの感謝ができているだろうか。これは人の自然な感情に逆らうことであり、自分の力ではできないことである。
しかしここでは、できるかどうかの個人の力を問われているのではない。問われているのは、信仰と同様、「喜ぶ」ことを選び、そのように決める意思とその決断である。なぜなら神が命じておられるからである。後は神が働いてくださるのであって、思い煩いは無用である。
「喜ぶ」ことに決めるならば、神がその信仰を祝し、大地の作物のように豊かに実らせてくださるであろう。これはリバイバルを開いていく実質(実)である。 アーメン。
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