ガリラヤ新年礼拝「いつも主にあって喜びなさい」
† ピリピ 4章4節 (東京アンテオケ教会 パウロ秋元牧師)
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
聞き従いが難しいと思っている人は多いようですが、実は簡単なことです。心の真実を神に語っていただき、心の底から神に聞き従いたいと思うこと。その聞き従いができないと思うなら、そのような願いをもって祈り求めればよいのです。ただし、これは真実な願いでなければなりません。すべては益となる、この事には聞き従いが土台となります。そしてもし感謝がなかったとしたら、私たちの問題はどこまでも問題のままであり続けて行き、祝福された人生への転換点とはなりません。繰り返しますが聞き従いができていて、感謝の教えが開かれていくことが重要なポイントです。感謝の教えを知っていて、信じていること。その土台の上に神様が大きなことを為してくださるのです。
今回示されたのはピリピ4章4節「いつも主にあって喜びなさい」ですが、これが御心である傍証は、歌集「風のひびき」に喜びの曲が多いことです。先ほど賛美の3曲とも喜びの曲を歌ったことにお気づきでしょうか。感謝からさらに一歩踏み込んだ段階は「喜び」になります。たとえば地方の聖会を回る際に、運転している牧師はよく警察に捕まります。その瞬間、さすがに牧師だけあって感謝は徹底しているようです。
「あぁ~あ・・・」と叫び、それから口先では「が、感謝しま…す」と感謝の対応を信仰でやっています。しかし、誰も喜んではいません。それどころか「これで白馬に行けなくなりました・・・」とか、恨みが混じったような感謝をしております。
「喜び」とは、すでに受けたという信仰の具体的な現れであり、感謝が土台です。受けたと信じた時、喜ぶ者と喜ばない者とに大きな差が生じます。主は度重ねて「喜びなさい」と言っておられます。主はすべての問題に解決を持っておられるのです。問題や困難に出会っても、御言葉に従って対応するなら、問題からの逆転勝利を得るのです。
クリスチャンには問題とは解決されるためにあります。だから信じて喜びなさい。もし喜んだり、感謝したりせずに、起こる時の不安やおそれは、その通りにならないのです。だから喜びなさいなのです。
もう一つは主にあって・・・です。「不安になるようなことは、主の御心ではありませんし、従うならそのようなことは起こらない」のです。だから喜びなさなさい、なのです。
一つ事件がありました。この一時間前にトイレで水が流れないという事件が起こりました。
「部屋替えかなと」喜んでいなかったのです。「喜ぶ」ことは、人間の自然な感情や力ではできないことなのだとわかりました。ということは、自分の思いを「喜ぶ」ことに決めるのです。喜ぶためには、人は基本的には喜べないのですから、この対応としては、とにかく「喜ぶ」ことに意志の力で決めるのです。
そうするならば、すばらしい神様の計画があらわにされていくのです。「喜ぶことに決める」、これが新年の重要なメッセージです。喜ぶことに決めると、「どうしても癒されなければ」とかそのような、御心の行いが行えないと焦ることはないのです。神様に任せればよいのです。せっぱ詰まっていくことはないのです。主はすべてわかってやっておられるのですから、すでに御手の内の中なのですから。
Capha
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