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2014年1月19日 (日)

三つの和解

Ⅱコリント 5章17-19節

 私たちはかつては世のものであった私自身から、十字架のキリストによってまったく新しく創造されました。すべての罪が赦されたのは、単に赦すためというより、その次の段階である、神と交われる存在、新しきものにするためでした。そのことは何よりもその人自身が違いをはっきりと認識しておられることでしょう。これが第一の和解です。

 さて上述のことがキリストとの和解であるならば、神は私たちに「和解の務め」を与えてくださいました。勤めでも努めでもなく、務めです。つまりこれは、義務でも、ただ努力するというようなものでもなく、為すべきこと、使命であるという意味でしょう。

 この務めは次の19節、20節に詳しく述べられています。世に対してキリストの使節として委ねられたものです。こうして私たちは他の人に和解を勧めるのですが、その前に「和解」が自分との間にできているのかを点検してみる必要があります。自分にできていないことを人に勧めることはできないのです。これが第二の和解です。そして他の人に勧めるのが第三の和解です。

 第二の和解には次のようなしるしが伴います。その人はキリストによって徹底して砕かれていることです。希望は自分にではなく、神にあります。ですから失われることも奪われることもありません。自分がないので高慢がなく、真にへりくだることができます。自分は愚かで、神のみが崇められることが喜びです。どんな失敗をしても、そのような自分に対して、十字架にかかってまで愛してくださった神に感謝が湧きあふれることでしょう。自分を卑下したりはしません。ありのままの自分を直視し、受け入れています。神に愛された自分の愚かさを愛してもいます。それは愛をゲットした勲章のようなものだからです。熱心に求めることは、もっと祈りをする時間が欲しいということであり、何とかしてさらに自分を神に捧げたいという願いです。
 自分と和解をするならば、落ち込むとか羨むとかいうことがらと無縁です。感謝と喜びがその人にあふれ、誰でもがすぐに気がつくことでしょう。ことばで人々に和解を勧めるよりも、この方がはるかに説得力を持っており、人々を言われてではなく、すすんで求めたい気持ちにもさせることでしょう。こうして和解の務めは、まず自分自身においてまっとうされ、それは同時に他の人にも「使節」として用いられるのです。あなたは自分と和解ができておられるでしょうか?

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