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2014年3月 9日 (日)

渇く者よ飲め

ヨハネ 7章37~38節

 3年前に起こった東日本大震災のことが先週からずっと報じられています。そして最大最高の問題と言うものが明らかになってきました。原発問題です。未だに、これからも自分たちの土地に帰れない、経済も何もかものその犠牲の上に今の私達があることを忘れてはいけないと思わされます。

 今日の聖書個所は、仮庵の祭りと呼ばれています。ユダヤ三大祭と言うものがあります。過ぎ越しの祭りと言われるペサハ、五旬節(シャブオット)、それから仮庵の祭り(スコット)です。この三つの祭りはエルサレム神殿に上って神を礼拝するよう律法が命じている者です。この仮庵の祭りは秋に祝われる収穫祭のようなものでした。

 仮庵の祭りの中でイエス様が大声を上げられたこの日はシロアムの池からくみ上げた水を神殿から流す最高潮の日でした。黙示録にある聖所から流れ出る水、それがまさに成就して行っているような日でした。このタイミングでイエス様は大声を上げてお叫びになったのです。「だれでも渇く者は、わたしのもとに来て飲みなさい」と言われたのです。確かにイエス様ご自身が聖所からの水でした。生ける水の川。聖霊のあふれ出る所なのです。

 東日本大震災では、多くの家族がバラバラになってしまいました。まさに一瞬のことでそうなってしまったのです。TV朝ドラの「ごちそうさん」でも今家族が離ればなれになってしまっています。
 何が一番大切か、多くの人は家族だと思っていたのですが、東日本大震災はその家族を奪ってしまいました。家族もまた、一定のものではなく、こわれるものであり、かえって家族だからこそ、傷つけ合うことがあるのです。家族は大切に思えたものなのですが、空しいものなのです。
 私個人も病気によって家族がバラバラになってしまった経験をしました。その時、どんなにか家族が大切かを骨身に沁みました。しかし二度と家族は回復することなく、かえって傷つけ合うつらいものになりました。家族を失うことを通して、家族すらまた、幸せの絶対的なものではないことを知らされました。絶望し、心が完全に飢え渇いてしまいました。

 聖書にその答えが有ります。本日の聖書箇所です。飢え渇く人、そのような人こそ神が選ばれた器なのです。神があなたを渇かせ呼び求めておられるのです。この水を飲めば渇くことがありません。死すらこれを奪うことが出来ない、いのちに優るものなのです。聖書にある通り、「その人の心の奥底から」喜びが、愛があふれ出てくるのです。どうかイエス・キリストの元に来て、生ける水を飲んでください。教会はあなたを待っています。

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