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2014年3月16日 (日)

死んだら終わりですか

ヨハネ 14章6節

 東日本大震災からまる三年が経ちました。震災の12月はじめ、被災地の閖上地区を訪れた時のことです。家々が軒並み押しつぶされ流された廃墟の中、ひときわ目立って閖上中学校だけがポツンと立っておりました。校門から入って玄関に向かうと、そこに生徒机が三つ並んでいて、その一つに次のような言葉がマジックで書かれてありました。Yurityu

「死んだら終わりですか?」 この問いかけが私の心に響いたのです。そんなことは決してないのです。
 聖書は「イエス・キリストを信じるならば、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがない(ヨハネ5:24)」と言っています。つまり死んだら終わりなのではなく、死ぬまでに信じたことによって、その人は永遠に生き続けると言っているのです。
 何が生き続けるのでしょうか?私達には肉体の命があり、魂や霊の命があるのです。この世で肉体の命がなくなったとしても、霊魂はその後も生き続けます。平均80年、長くて100年程度しかない肉体の命のある間の、一人一人の選択によって、霊魂が住む永遠の行き先を決めてしまうのです。

 聖書は口で言うことの出来る体の命のある間に、十字架は自分の罪の為だと信じ告白しなければ
神の国に入ることは出来ないと言っています。そういう意味で「生き残った私達に出来る事」とは、信じる事なのです。生き残った人達が信じてこそ、先に亡くなられた方たちの死も、大きな意義を持ってくるのです。

 神は御子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、私達全人類の罪の身代わりとして十字架で処刑されました。ここに神の愛があり、福音があります。ただイエス・キリストが自分の罪の身代わりとして死んでくださったと信じるだけで良いのです。多くの人は、十字架によって救われなければならないほど、自分に罪があることに気づきません。神を求めようとせず、必要としないのです。必要とするのは人生の落語者、弱い者、罪深い者、希望を失った者です。世での成功者、誇るものがある人は、かえってこの絶大な神の祝福から遠く、神の国に入れる人は、ラクダが針の穴を通るより困難だと言われるほどです。

 私達は罪深い者ですが、十字架を信じる事ですべての罪が赦され、あたかも最初から全く罪を犯さなかった者のようになります。神の国とは罪のない、聖く義しい人の行くところですから、人間にとって、十字架以外の道は決してありえないのです。信じ告白した人は、確かに神の国に入るのです。
 このことは「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、誰ひとり父なる神のみもとに来ることはありません(ヨハネ14:6)」とある通りです。誰が天国に行けるのでしょうか?自分の罪を告白し、主イエス・キリストを主であると告白した人です。生きている間に、これを為さなければなりません。

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