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2014年4月20日 (日)

人となられた神

ピリピ 2章6節〜8節  

 今日の聖書箇所は昨日のデボーションの箇所ですが、「ご自分を無にして、仕える者の姿を取り、人間と同じようになられました」とあります。ここは重要な所なのに、わかりにくい表現になっていますがそれも当然なのです。  
これは人間の理解を超えた実に驚くべき、あり得ない出来事です。永遠にしてあまりにも高く尊く、誉むべき神の霊が、滅ぶべき卑しい人間の体となられて、この世で生涯を全うされた・・・‥まさに驚天動地、あり得ないことを述べているからです。これを信じることは、常識ある人や、堅実に物事を把握し考えようとしている賢明な方々には理解不可能なことでありましょう。

 それゆえ神は先ず己を信じるのか、それとも福音を信じるのか、そのことを、福音を聞くすべての人にチャレンジしておられるのです。己を信じるか、それともたとえ理解できなかったとしても、福音によって「確かにこの方は確かに神だと信じるのか」をです。

 天地万物を創造されたいと高き神は、人間を愛するがために人の姿になられたのは、罪は犯されませんでしたが、人間としてのあらゆる苦しみ、痛み、絶望を味わってくださるためあり、その原因である全人類の罪を背負って十字架に架かってくださるためでした。これは神でなければできない、愛の究極的なかたちであります。

 神は人間が物質とか形とか(いわゆる偶像)で見ることができないものです。しかし唯一の例外は人となってこられた神、イエス・キリストです。イエス・キリストの中に神の御性質や本質がすべてあると聖書は言っているのです。キリストはへりくだって弟子たちの足を洗い、貧しい人や虐げられている人々の友でした。その代わり権力ある者や高慢な者、偽善者には毅然としてその罪を指摘しつづけました。
 パウロは自分を見習って欲しい(ピリピ3:17)と言いましたが、それはパウロのようにキリストに従い、キリストの苦しみにあずかる道でした。私たちクリスチャンは世にあっては茨の道、絶えず困難があります。それは私たちの国籍がこの国ではなく、天にある(ピリピ3:20)からです。私たちははるかに天を仰ぎ見て、たとえ日曜日に教会に行くことを迫害されようとも、教会がなかなか成長できなくとも、キリストが歩まれたようにこのことを心から感謝して、喜んで歩むのです。アーメンでしょうか?

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