しるしと不思議と力あるわざ
† Ⅱコリント 12章12節
パウロが1年半もかけて伝道し確立したコリント教会を去ると、知的な賜物にすぐれ、イエスがメシヤであると論理的に説得できるアポロが来ました。ただしアポロは聖霊のバプテスマが伴わない不十分なものでした。最も影響力があって教会に混乱をもたらしたのは、「割礼を受けなければ救われない」と言うエルサレム教会の使徒による教えでした。
大使徒と称されている人物はおそらくペテロ、またはそのような使徒のリーダー的な存在の人物だったのでしょう。コリントに実際に来た可能性もあります。割礼についてペテロは、日和見主義というか迎合的態度をとっており、パウロから叱責を受けたことすらありました。
割礼に代表されるエルサレム教会の律法主義とは、神殿礼拝を中心とするユダヤ教の一派としてその枠内に留まる教えでした。つまり十字架によって律法から解放された新しいイスラエルの民を、再び律法のくびきの下に隷属させるものでした。これに対しパウロたちが厳しく対応するのは当然でしたが、逆に彼らにとってパウロの正当性、つまり使徒を自称し、ユダヤ教から逸脱した新宗教=キリスト教を宣教するパウロこそが、自分たちの了解を得ない偽使徒でした。こうして激しい教えの違い、その根拠として使徒としての証明をめぐる争いが起こっていたのです。コリント教会はパウロ派、アポロ派、割礼のエルサレム派に分裂していたのです。
もともとコリント教会は土地柄でしょうか、信者間に不道徳や訴訟沙汰、聖霊の賜物において混乱がありました。これらを解決するための権威ある中心的な指導者が不在であったようです。「見事にこらえている」とパウロによって皮肉な言葉で評されたことにもそれはうかがわれます。異なる福音の持ち込みにも、見分けることなく、安易に受け入れたことの代償は大きかったのです。聖霊がわからない多くの信者は見分けがつかず、異なった福音に流れ、教会には大きな混乱が生じました。
私たちのこの船橋はコリントとよく似た状況にあります。昔から有名な遊興の地であり、天皇杯の中央競馬場、地方競馬場、競輪競艇までそろっている所です。コリント教会はその多くが船橋に適用できるものです。指導者の権威の確立、異なる霊の見分け、聖霊の賜物の適切な運用が為されなければなりません。本日の聖書箇所、「しるしと不思議と力あるわざ」、つまり徹頭徹尾、聖霊の働きを土台としてこの教会は立って行かねばならないのです。
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