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2014年5月 4日 (日)

感謝は困難に打ち勝つ

1テサロニケ5:16−18  

「『感謝』の伴わない信仰は、来るべき終末時代の患難を乗り越えては行けないだろう」と言われています。それほど「感謝」は信仰の強力な武器であると同時に、更に大きな神の祝福を得る方法です。「感謝」は主の十字架においては信仰の土台であり、幾度も本日の聖書箇所はメッセージに、セミナーに引用されています。

   ここでの「感謝」は「すべての事について感謝しなさい」とあります。ですから良いことも、たとえ悪かったことでも感謝するという対応をいたします。これに次のような解釈もする人々がいます。「嘆き悲しんでも、過去は取り返しがつかない。だから考えを変えて、少しでも前向きに生きた方が結果が良い」からだと。しかしこれは理解が浅い「感謝」です。聖書の「すべてのことについて感謝」はこのような意味では言っていないのです。

 ではどのような理解が正しいのでしょうか。ローマ8:28に「神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを働かせて益としてくださる」とあります。聖書に登場する人物を見ていきますと、アブラハム・ヨセフ・モーセ・ダビデとほとんどの人物に困難が許されています。中でもヨブに目をとめ、彼に許された困難を通して「感謝」を見ていきたいと思います。

 ヨブは神様の自慢が原因で、サタンに引き渡されます。もっとも富んだ者でしたが、一瞬にして全財産と10人の子ども全員を失いました。それでもヨブは「裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」と神を呪うという罪を犯しませんでした。さらサタンがヨブの全身を悪性の腫物で打ち、妻が「神を呪って死になさい」と言うほどでも「幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」と罪を犯さなかったのでした。

 ヨブの物語に「感謝」は出てこないのですが、真の祝福はヨブのように、悪かったことが二倍の良かったことに変わることにあるだけではない。ヨブ記には記述してはいないが、ヨブには二倍の祝福以上のものがもたらされていたはずなのです。真の祝福が。

 困難や艱難は、それ自体が喜び感謝するものなのです。気が狂ってはいません。困難なしには人は己の高ぶりを心から悔い改め、心に自分を無価値な者として神に明け渡すことができないからです。その明け渡しの上に、神がその人の主となられ、神に聞き従うこと、隷属することが可能になります。真の神のしもべの誕生です。エデンの園で失われた神と人との交わりが回復されるのです。

 これはこの世にあって神の国が人の心の中に誕生することでもあり、これは地においても天においても永遠に続く祝福です。世も生もその人にとっては、もはや次元の低いものになってしまうのです。しかし困難なしには、これは得られないものでした。「すべてのことを感謝する」ことの真の祝福がここにあるのです。 アーメン。

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