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2014年6月22日 (日)

神の愛、キリストのあわれみ

ユダ1章20−21節
 初代教会の時代から教会を悩ませ続けてきたのは、ユダヤ人からは割礼に代表される律法主義、異邦人からは十字架と聖霊への敵対でした。しかしもっとも深刻な問題は内側の問題、教会から離れていく人々に対してでした。

 イエス・キリストの神性を否定し、牧師など立てられた指導者を、バラクのように、コラのように批判し聞き従うことができなかったのでした。彼らは利得主義で教会の真理に学ばず、この世の人々に過ぎませんでした。せっかく教会に導かれても、神の愛やキリストのあわれみが伝わらず、永遠のいのちの恵みを得ることができなかった人々のことです。本日のみ言葉、「神の愛、キリストのあわれみ」がわかるなら、その方は確かに永遠のいのちにつながる祝福された人であります。 

 神の愛とは何でしょうか。それは神ご自身に等しい独り子キリストを、人間の罪のために死に渡されたことです。ここに愛があるのです。なぜなら、キリストは天地万物の創造以前から存在された、聖なる存在であり、全宇宙や被造物である人類よりはるかに優ったお方です。たとえ人が何千億人、何兆人居ようとも、さらに価値あるお方なのです。キリストが言った「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」の言葉は、信じない者から見れば呪いの言葉でありましょうが、信じる者にとっては神の愛、キリストお一人に全人類の罪を負わせられたという、神の愛の極めつけの言葉、まさに希望と喜び、愛そのものの言葉なのです。

 キリストのあわれみとは何でしょうか。それは自分がどんなにあわれまれなければならない存在であるかという、罪の深い自覚のことです。どんなにささいなものでも自分に義があってはなりません。肉が完全に死ぬような経験、自分がどんなに救いがたいあわれな存在であるかがわかるということ、これが新しく生まれる土台です。それは己の力でできることではなく、ヨブやヨセフ、ダビデのように、神は愛された者を例外なく懲らしめられましたが、その目的は肉を捧げさせ、砕けた魂、神のあわれみによって生きる霊の獲得でした。みなさん、神のあわれみによって生きる恵みは、懲らしめなしにはうまれないものなのです。ですから試練や困難は、その先にあるものを見て、私たちは喜びの感謝を捧げるのであります。

 今試練、困難にある人々よ、喜びなさい、あなたがたは愛されている。あわれみを受けることができるのです。

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