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2014年6月 8日 (日)

希望について説明を

1ペテロ3章15節

 私たち神を信じるクリスチャンには、この世での先に大きな希望があり、それを命以上に価値のあるものと思っています。世の何ものも奪うことのできない希望です。聖書(1ペテロ3:15)ではいつでも、誰にでもそれが証しできるようにと用意をしておくようにとあります。

 このペテロの勧めはペテロ自身も殉教したと言われるネロ帝による大迫害が始まる直前のものです。つまり歴史的な大迫害の始まる前から、基本的にクリスチャンは不可解な人々であって、多くの人々からの攻撃があったのでしょう。現在においてもクリスチャンは酒、ギャンブル、たばこをたしなまないばかりか、品行方正でどんな小さな嘘も言うことができないのですから、不思議に思われ、その「説明」が求められる事が多々あります。さらに日曜日に礼拝を捧げ、特にどんな最悪な状況下でも喜んで感謝するなど、理解不能な行いは絶好の証しの機会でもあります。説明とか証しなどの備えを怠りなく準備しておくことは大切でしょう。

 では聖書を手引きにし、証しの土台となるものを読んでまいりましょう。(1ペテロ 1:3)に「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて生ける望みを持つようにしてくださいました」とあり、(1ペテロ 1:14節)には「朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐように」と、私たちに「天に貯えられている」ものがあると言われています。

 ここで言う「新しく生まれさせて」「天に貯えられている」とは何でしょうか?「新しく生まれ」とは悔い改め、別人間としてキリストにあっての新生を意味します。この世での生を終え死んだクリスチャンは、神の国においてはどのようにして神に仕えるのでしょうか?

 金はなかなか朽ちるものではありませんが、それでも時には朽ちて行く「金」よりも尊い、「天に貯えられている」ものとはなんでしょうか?それは新しい魂・霊にふさわしい、新しい体、み霊の体です。これは一般に信じられている、実体なき幽霊とはまったく異なるものです。先例があります。

 それは十字架の死からよみがえられた、キリストの体です。疑い深い弟子のトマスは、本当にキリストなのかと、指を釘の傷の穴の中にまで入れて確かめようとしました。また弟子たちの面前で焼いた魚を食べてもみられました(ルカ24:43)。これらは幽霊ではできないことです。しかしドアを通り抜け(ヨハネ20:26)られたり、オリーブ山から天に引き上げられたり(使徒1:9)するなど、今の血肉の体とはまったく異なるものであります。クリスチャンは、この滅ぶことのないみ霊の体となって、永遠の神の御前で礼拝し、仕えることが究極の希望です。ですからクリスチャンの死は、希望にあふれたいわば天への凱旋であります。

 これに対し、神を信じないで死んだ人々には、希望がありません。世には「お迎えの来たとき」と言う長寿を願う言葉があります。「米寿(88)で御迎えの来たときは、もう少し米を食べてからと云え!」など・・・この世に執着し、生き続けることしか希望がないのです。この人々の死後は、永遠の苦しみを受け続けなければならないのです。つまり考えるだけでも恐い世界なのです。

 ハレルヤ!私たちはできるだけ多くの人に、この希望について説明し、一人でも多く救われるよう証しを怠りなく備えましょう。世に生かされている使命でもあるのです。

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