白い衣のひとたち
✝黙示録 7章13~14
ふつう血で洗えば白くなるどころか、血の色に染まります。ですからこれはヘブル書の12:24に「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません」とあるように、耐えられないほどの患難にも戦い通した人々のことです。彼らは殉教こそしませんでしたが、信仰にいのちを懸けた人々なのです。
むろん殉教者たちにはすでに白い衣が与えられています(黙6:9)。白い衣とは、罪が完全にきよめられ聖とされたことであり、同時にそれは神の国人として認定されていることを示します。今の私たちにとっても目標であり、勝利の栄冠そのものです。
さて黙示録には読んでいくための土台があります。恐ろしい天変地異、人類の1/4と1/3、計半分が死んでいくという大いなる審きの時代とは、一般的には恐怖の時代であるからです。しかしこれは審かれる側の場合であって、神を信じる者にとっては待ち焦がれた日、勝利の時であります。ただしクリスチャンであっても、救い、携挙の確信がない場合は不安や恐れを感じることでしょう。揺るぎない信仰、救いの確信があった上での説き明かしが黙示録なのです。
さて七つの封印が解かれると、最初に白い馬が出てきます。これはイエス・キリストであると言われています。つまりこれはまず結論から説いているようなものであって、この起こっていくあらゆる災いは、キリストの勝利として終わることを告げているわけです。そして赤い馬=戦争、黒い馬=飢饉、青ざめた馬と、あらゆる多くの死が告知されて行くのです。これらは悲惨なことであることは確かですが、人間が高慢に気づき、悔い改め神に救いを求める機会として見るなら、それはすばらしい後の雨、恵みの時ともなります。
第五の封印で殉教者たちの叫びと白い衣の賦与があり、第六の封印でヨエル預言の成就である天体を含む天変地異が起こります。これらはおそらく、大リバイバルの時代の背景として起こる事柄だと私は受けとめています。
やがて第七の封印から七つのラッパが鳴る、さらに非常な困難な時代となっていきます。ここで殉教者だけでなく、「額に神の印を押される」クリスチャンたちや、数え切れぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って御座の前に集まります。これらは確定した神の聖徒たちです。もちろん未だ地上にいる私たちは、この群衆には加わってはおりませんが、携挙の後に共に増し加えられることになるのでしょう。この望みを私は持っているのです。
殉教者とかこの大勢の群衆にしろ、白い衣を着た人々とは、「大きな患難から抜け出て来た者たち」というのは共通しています。つまり試練困難で己の肉と戦い、「子羊の血」=「キリストの十字架の血潮による罪の赦し」によって罪を完全に捨て、白くされた人々です。それ故今の私たちも、患難なしに白くされることはあり得ません。それがいつなのかはわかりませんが、懲らしめを受けるのは、子とされた印なのです。祝福の患難が来ることを感謝して受けましょう。その先にあるのは携挙という勝利なのです。私たちクリスチャンは第七のラッパが鳴らされたその時、携挙によって主と空中でお会いし、後の迫害からも守られるのです。
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