フォト
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« いちじくの木のたとえ | トップページ | 【自分を捨てること」は deny 否定すること »

2014年8月10日 (日)

復活のリジョイス

マタイの福音書 28章8~9節

 この日本は信仰の自由があるのに、神を信じない人がほとんどの国です。このような不信仰の国に対して、「キリストという死者の復活」を語ることが大切だと私は示されています。なぜでしょうか?人々は葬祭とか慰霊の場では死者の霊が生きているようなことを言いますが、それはその場限りのことであって、日常生活では忘れていても何とも思わないないからです。
 そうではない、肉体の命が果てようとも、その先には、単に幽霊の人玉やキョンシーがうようよしているのではない、御霊の体として復活する永遠への希望があるのだということを伝えたいのです。この希望が「キリストの死と復活」なのです。

 さてイエス・キリストが実際に復活したという前段階ですが、①二千年近く前、イエスというユダヤ人の男が、ローマによって十字架処刑されたということ。②しかしイエスは甦ったと弟子たちを中心に語られ広まったこと。③その直後から迫害が起こり、今に至るまでたくさんのクリスチャンが殺されたということ。これらはどの百科事典にも載っている周知の事実です。実はこの②番に関わって、死んだはずの体がどうなったかということが、神を信じない人々への重要なチャレンジ点なのです。
 最も有力な説としては、弟子たちが盗んだという説があります。ステパノから今日に至るまでの殉教者の血は膨大な数に上ります。自作自演した偽りに、弟子たちは命までかけるでしょうか?もし仮に弟子たちが盗んだのであれば、その後の復活はあり得ません。しかし聖書の書かれた当時ですら、かなりの数の人が「直接復活したキリストを見た」証言者として生き残っていたのです。弟子たちの自作自演とするのは、相当無理な説明です。
 次にイエスは一時的に仮死状態になっただけで、墓の中で蘇生したという説もあります。しかしローマには検視役の兵もいて、脚の骨を折ってまで死を確認していました。埋葬も洞窟の中に遺体を置くだけなのですが、瀕死の者がぐるぐる巻きの布を自ら解き、重さ二トンもある石蓋を動かし、ローマの番兵と戦って逃げおおせた……という説に信憑性はありません。

 確かな事実は、イエス・キリストは聖書に書いてある通り、復活したのです。それも二度と死ぬことの無い御霊のからだ第一号として復活されたのです。
 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 私たちには「わたしを信じる者は、死んでも生きる」という復活の事実を受け入れるか、または拒否するしか選択はありません。多くの人が事実を事実として認め、受け入れてくださるよう祈り、永遠のいのちの証人として喜びの証に努めて参りましょう。

« いちじくの木のたとえ | トップページ | 【自分を捨てること」は deny 否定すること »

信仰」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 復活のリジョイス:

« いちじくの木のたとえ | トップページ | 【自分を捨てること」は deny 否定すること »