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2014年10月12日 (日)

それでも私はリバイバルを

ローマ人への手紙 9章2~3節

よく韓国は信仰、台湾は賛美、日本は頭と言われます。その現実を見て見ましょう。クリスチャン3割の韓国。その町々の中心部に十字架の塔が建つ教会が多く、歴代の大統領はキリスト教徒である。確かにクリスチャン国の様相を呈しているが、かつてのリバイバルが父祖の代となっており、今は聖霊の継承が大問題となっている。台湾は私が直に聞いた所、1割だという。台湾の教会はソングリーダー形式の礼拝であり、賛美に臨在があったのです。この国では、今まさにリバイバルが始まろうとしているのかもしれない。

本日の聖書箇所ーーーこれはパウロが同じユダヤ人の救いについて、まさに心臓を真二つにしたような言葉で吐露しています。神の御心は異邦人へ。そしてその使徒として召されたパウロ。しかし彼は異邦の地(キリキアのタルソ)に育ったユダヤ人であって、ガマリエル門下となり、その熱心さがクリスチャンを迫害したのです。しかしダマスコへの途上で神に召された彼は、何よりも愛したユダヤ人にではなく、何と異邦人に遣わされたのです。それでもなお彼は心から、イスラエルが救われることを願っているのです。

 今回私は台湾の新竹の教会の教会、<中華聖潔会 鳳山村教会>のもてなしの愛に感動しました。これまでの考えがグラッともなりました。「日本人の救い、リバイバルなんて、そんなことにこだわっているのはおかしいんじゃあないか。ここに日本人よりも、友人や家族よりももっと近い人、真の兄弟姉妹が居ると。天国に行ったら、何国人も民族も関係ないんじゃあないだろうか」と。日本人の救いだけを考えるのは、国境を意識した小さな事に過ぎないかとも思わされたのです。天国では何国人は無い。みな兄弟姉妹なのですから。

 しかし、です。日本はどうか。真逆の環境です。今この国では宗教と言うと色眼鏡で見られ、おかしな人と見られるようです。この国の多くの人の考えは、人は必ず死ぬという肝心なことが想定外です(笑い)。神を信じない自分たちの行き先とは、地獄であることが分かっているのでしょう。それゆえ一時でも死を考えないようにし、生きているだけがすべてで死んだら何もないと。ああ実にあわれな国民が我が同国人なのです。何のためにこの命があるのか、命の用い方を知らないのです。

 みなさん、愛は遠くの知らない人に対してではなく、聖書にある通り、あなたの隣り人に対してではありませんか?身近な人を愛さなくて、何の愛でしょうか!身近な友であり、親族であり、家族を愛せなくて、何の愛でしょうか!私たちクリスチャンは日本人の0,2%かも知れませんが、一粒の稲の種は千倍の実を実らせるのです。時が来た時、神は千倍どころではない働きをしてくださることでしょう。私たちはその種なのです。神に期待し、信頼する者は失望に終わることがないのです。

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