イスラエルを祈る
✝ ローマへの手紙 2章29節
今また私たちがイスラエルに関心を持たねばならないのは、私たちがこのイスラエルに接ぎ木された存在だからです。このTシャツを見てください。イスラエルに行けばたいていのお土産屋で見つけるものです。この図案は(ローマ書11:17-18) を指しています。聖霊を表すメノーラはダビデの星、つまりイスラエルを通してクリスチャンである私たちに下ったのです。私たちが信仰の豊かな実をつけているとした、それは幹であり、根であるイスラエルのおかげなのです。
そしてこのようにイスラエルが頑なにされたのは、全世界が福音を聞く時=異邦人の完成のなる時までのことであり、それからイスラエルがみな救われるためなのです。(ローマ11:24-25)
イスラエルへの派遣が明日から始まります。私たちは何故エルサレムの平和を祈り、実際にイスラエルで新年を迎えるのかといえば、この奥義が実現されるためなのです。
それでは頑なにされたイスラエルを見ていきましょう。パウロたちはユダヤ人ではない異邦人伝道において、いく先々で多くの収穫を得ました。福音は割礼を受けていない異邦人にも等しく注がれたのです。異邦人にとっては福音が大切なのであって、ユダヤ人になることではありませんでした。むしろそれは割礼という「行いによって」救いを得ようとすることで、信じるだけで救われるという福音に反することでした。
しかし、エルサレム教会の人たちはそうは考えませんでした。全員が割礼を受けていたことでしょうし、信仰の中心には神殿があり、イスラエル人でなくては神殿に出入りすることも、イスラエル人を救うことはできません。割礼を否定するなら、この全てがふさがれることになります。ですからパウロとバルナバがやって来て、激しい論争のあげく、異邦人に割礼を強要しないことになりましたが、それはあくまで異邦人に対してのことであって、ユダヤ人クリスチャンの割礼を否定したわけではなかったと想像されます。
しかし神の裁きは明らかでした。エルサレムはローマ軍によってキリストの預言通りに完全に破壊され、ユダヤ人は国を失ってディアスポラ(離散)のユダヤ人となりました。そしてヨーロッパ各地では、キリスト教徒によって迫害される受難の歴史が続きました。しかし最初に学びましたように、聖書では反対のことを言っております。今預言通りにイスラエルは再建され、世界中からイスラエルの民が帰還しつつあります。私たちは幹であり根であるイスラエルを支援し、この民が悔い改めてイエスを信じ、こうして神の御心がなるように祈るのが接ぎ木された枝としての使命なのです。
神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ11:29)
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