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2014年11月 9日 (日)

羊と山羊

 ローマ人への手紙  1章20節

 この度、ガリラヤ湖からエリコへ、そしてエルサレムに上る途中、羊と山羊の群れを見る機会がありました。特にエリコで山羊の群れに遭遇した時は、みなさん山羊の行く手の道いっぱいに広がって撮影し、山羊たちの進路妨害をしてしまいました。困った山羊の群れは、最後尾の少年のヒューという合図で、我々の横、すこし崖があったのですが、そこを斜めに降り始めました。山羊の群れは一斉に崖を駆け降りたのですが、降り方は様々でした。勇敢にまっすぐ直下した山羊、できるだけ迂回して安全に降りようとした山羊など。

 この後、バスの車窓から、今度は羊の群れを見ることもできました。羊は山羊とは異なって一列縦隊で、決して列を乱すようなことはありません。そしてそれぞれの判断で行動するということはないようです。山羊の群れでは山羊飼いの少年は最後尾でした。しかし羊では必ず先頭に羊飼いがおり、その羊飼いが止まれば群れは止まり、動けば動くのです。羊は飼い主に忠実であり、山羊は自分で判断で行動するのです。昔からこの地方では、羊も山羊も一緒の群れで飼うことが多いとのことでした。
 31節には「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき」とありますが、これは再臨のキリストのことです。32節によりますと、すべての人たちはキリストの前に集められ、キリストは「羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置き」とあります。

 この再臨の時まで、みな一緒にキリストに従って来ていたように見えたとしても、ここで各々その種類に従って左と右とに分けられるのです。左と右とでは天と地ほどの違いがあります。左は「天の御国を継ぎ」、右は滅びのゲヘナに落とされてしまうからです。その違いとは羊と山羊の違い、つまり神に忠実であったか否かなのです。

 さらにこの忠実さについて、イエス様が説明しておられます。忠実な者とは、最も小さい者の一人にしたことであると。つまり酬いを求めず、良きサマリヤ人のように、親身になって愛を施した者のことであると。その人は当然のことをしただけなので、それで自分が義とされるとは思ってはいなかったのでしす。

 逆に神の目から見れば、たとえ素晴らしい業績をあげ、どんなに目ざましい働きをしたとしても、天にふさわしくない者もいるのです。謙遜を忘れて高ぶり、神に栄光を帰せず、己を義としているからです。ここで天に入れると思っていた人が入れず、入れないと思っていて入れるという、逆転が生じるのです。

 みなさん、ポイントは忠実さです。私たちは羊のごとく神に忠実な者であらねばなりません。自分の人生は自分のものだと、ついぞ思ってはなりません。十字架で身代わりになってくださった神のものです。常に神に聞き従って自分は歩んできたのか、あるいは自分の考えやしたいことに従って歩んでいたのか、吟味し続けなければならないのです。
  神の声に聞き従う羊に徹し、必ず神の御国を受け継ごうではありませんか。

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