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2014年11月16日 (日)

彼らに弁明の余地はない

ローマ 1章20節
 現代は正しい者の正しさが通りません。のけ者にされ、迫害される時代です。しかしこれは、別に現代に限ったことではなく、ノアの時代にも、ヨセフやダビデの時代にも常にあり、そして現在も同じなのです。その代表が我らの主、イエス・キリストの受難であります。

  来月に封切られる映画「God's not dead」を試写会で観ました。実話に基づいた映画化だと言うことでした。映画では「God’s is dead(神は死んだ)」と言う前提から哲学の講義を始めようとする教授が、受講する学生全員にそれを書かせようとします。しかし学生は、神が生きて働いておられることを教授相手に勇敢に論証し、結果として勝利した驚くべき内容でした。

 パウロはアテネという、当時の知識世界の最高峰、アレオパゴスの丘において、次のように言いました。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない(ローマ1:20)」と。

  映画とは異なりますが、私の「God’s not dead」を申し上げましょう。どんなに「神は居ない」とか「神は死んだ」などと叫んでも、それは無理なのです。その第一の証拠はクリスチャンの存在です。逆に言えば、神を信じない者らの希望のなさ、罪に罪を重ねる行いであります。彼らは腐り果て、その中で苦しんでいます。しかしクリスチャンは、罪がわかり、自分が神の国にふさわしくないことを知っております。ですから自分の力でなく、神の子の十字架を信じ、その贖いによって罪赦され、天へ行ける信仰を持っているのです。十字架だけが、聖なる神の国に入れる唯一の道なのです。

  次に宇宙の存在であり、その運行の秩序であります。神が造られた命あるもの、そのすべての被造物によってです。パウロがこれを「被造物によって(万物を創造された唯一の神がおられることは)知られ、明らか」であると言ったのです。私はは学生運動に挫折した時、これによって神を信じました。

 次に、聖書の、数々の預言とその成就、また数千年の時を越えて守られて来た存在そのものがあります。聖書をありのままに読めば、恵み豊かな人格的な唯一の神が永遠から現在に、そして未来永劫に渡っておられることがわかります。そして聖書自体も、数千年の時を経ても全くと言っていいほど本文が変わってはいないどころか、その預言、イスラエルの建国など、今まさに成就しつつあるのを見るのです。

 私たちは揺るがされないで、神は死んだ、とか居ないとかいう言葉をどれほど聞かされようとも、固く信仰を保って行くのです。そしてこの世でパウロのように、どれほどの困難、辛苦をなめようと、たとえこの世では報われないとしても、最後には天の御国という栄冠を得るのです。

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