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2014年11月23日 (日)

苦難の意味

✝ ヨブ記 42章5-6節

 ヨブには七人の息子と三人の娘、羊七千にラクダ三千頭など、非常に多くのしもべを持つ、族長的な存在でした。アブラハムのように神に忠実でもありました。ところが神のご自慢のヨブが、一時的にせよサタンに渡され、苦難のただ中に落とされたのです。全財産すべての子どもまで奪われました。

 ところが、これほど失ってもヨブの信仰は衰えませんでしたが、ヨブの全身を皮膚病で打たれると、サタンの目論見通り、ヨブもさすがに苦しみました。その上、三人の友がやってきて、慰めるどころかヨブを責めるのでした。

 これらの災いはヨブに原因があり、それを悔い改めるよう説得します。しかしヨブは負けずに言い返します。ヨブは自分が正しいと思っていた(32:1)からです。彼ら三人は、「災いは悪いことをしたから罰せられる」という、御心ではなく、一般的な枠から一歩も出ていなかったからです。みなさん、災いについてこれが一般の、そしてクリスチャンである私たちも陥りやすい捉え方です。ヨブは原因が自分にないと己を義とし、神を責めんばかりの状態になります。これもクリスチャンが災いを通された時、ついついやってしまうことです。

 しかしそうではありません。仏教用語ですが因果応報に欠けているもの、ヨブに欠けているもの、それは「感謝」です。「主は与え、主は取られる」から一歩出て、主は災いを通して、なくてならないものを知らせ、戻らせ、かえって「すべてのことを働かせて益としてくださる」ことを、今私たちは知っています。

 ヨブをはじめ一同はこのことを、それまで黙って聞いていたエリフから一喝されることになります。続いて神は同じことを語られます。こうしてヨブは、自分を義とし、全能者と争ったことを悔い改め、元の倍の祝福を受けることになります。しかしみなさん、結果としてヨブへの報いは財産が二倍になり、前よりももっと良い子どもが与えられたことにだけ目を留めないでください。もっとも大きな祝福は、ヨブの信仰が一段階さらに引き上げられたことです。それは「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた」ことからもわかるのです。自分を見舞いに来たはずなのに、かえって罪を指摘し、言いたてた友人をヨブが許しを請うた時、祈った時に祝福されたのです。

 みなさんの人生の中で、どうしてこのように困難が、苦難が多いのかと思っておられる方がいるかもしれません。またヨブは、サタンへの自慢のために落とされたと思われるかもしれません。しかしそうではありません。苦難なくして人は、神の愛を知り、その信仰を引き上げられることがないのです。神の知恵と愛は、計り知ることができません。神は愛する者を試練にあわせ、引き上げられるのです。それは神の愛です。祝福です。感謝し、喜び踊りましょう。

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