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2014年12月21日 (日)

キリストの愛

エペソ 3章18~19節
 みなさんは信仰生活の中で、自分の切なる願いと祈りが、神に聞き届けられなかった経験が一度はおありではないでしょうか。

 以前、山を動かす信仰ということから、ある少年が日の出を遅くする自宅の裏山を「神様、よその方に動かしてください」と祈った話をしました。たとえ心からでも、御心ではない恣意的な祈りは答えられません。しかし例えば、幼いわが子が生死の境をさまよう時の祈りなどは、魂をあげての悲痛な叫びです。自分の全存在、信仰をかけてまで祈ることでしょう。

 しかしそれでも、聞かれる祈りと聞かれない祈りとがあります。聞かれなかった時、人は神に失望し、信仰を捨てるのでしょうか? 否、その時こそ、神を本当に信じるチャンスなのです。なぜならこれは、神があなたの主、神で、あなたはそのしもべであるのか。それともご利益があなたの目的で、己の目的に神を従わせようとしているのか、そのどちらかだからです。神は最善のみを働かれる存在で、それを信じることができるのか?

 神が主ならば、たとえ自分の思い通りになさらなかったとしても、自分の判断や思いより、主の方が確かであり、どんなに人間的には身を切る辛さであっても、愛そのものの神がされることには「最善」の結果になるのです。どんなに「不幸」としか見えないことでも、です。事実、私たちはこれまで最善の結果を見てきているのです。

 映画「天国は本当にある」では原作にはない重要なシーン、上述のものが挿入されておりました。それぞれ祈られていたはずなのに、牧師の息子コルトンは奇跡的に命を戻され、一方の長老の息子は戦死しました。バーボ牧師が天国のメッセージすると、この長老家庭にとっては、理不尽にしか思えない現実を思い知らされて辛いのでした。映画はこの理不尽さ、信仰の危機を次のように解決させていました。神は分け隔てなく各家庭の子を愛しており、それゆえ戦死した息子も「天国=永遠のいのち」に導いてくださっているはずだと。

 今私たちは血肉の命を与えられてはいますが、これは一時のもので、やがて失うものです。しかし失われない永遠のいのちこそ、私たちの真の望みであり、そこでまた再び会える永遠ことこそ、何ものにも奪い取ることのできない私たちの喜びなのです。
 戦死、流産、いたいけな子どもの死、その答えは聖書で述べてある通り、理不尽ではなく、神の計画は人間の思いを超えてはるかに高く、最善であるのです。神の愛を信じることがポイントです。私たち人間の思いや願いを越えて、神の高い最善計画があります。信じること、従うことで、全てが益に、全てが最善であったことを私たちは見るのです。これを信仰と言い、私たちは先取って信頼の感謝をするのです。

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