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2015年1月 4日 (日)

互いに愛し合いなさい

ヨハネ 13章34節
 ヨハネの福音書だけでなく、主だった新約聖書の著者はすべて、このキリストの命令「互いに愛し合いなさい」に同意し言及しています。これはすでに律法にあったのですが、このとき、新約の唯一の新しい戒めとして与えられました。それだけにこの御言葉は、尋常ではない重みがあります。ところがその割に•••私の私見ですが、この命令を実際に真摯に守ろうとするクリスチャンや教会というものを見たことがありません。どのように具体化してかは大きな問題ですが、この教会はこの御言葉を真剣に従い、行おうとするのです。
 戒め…御言葉では「わたしがあなた方をあいしたように」と、「愛」の中身について但し書きをされています。キリストの愛とは、弟子を選び忍耐をもって育て、罪人を赦し、数々の奇跡と癒しを行い、十字架にかかったことでした。キリストの愛はアガペーの愛でした。同じことをせよと私たちに言っておられるのではありませんし、できるはずもありません。では、私たちはどのようにしてキリストのように、互いに愛し合えばよいのでしょうか?

 通常、愛は感情だと考えられています。しかし1コリ13 : 4-7にある通り、私たちに求められている愛とは「選択」であり、行動です。ご自分の独り子を犠牲にして惜しまないほどの神の愛が私たちの愛の源泉であり力です。神の子イエスは、その具体的な最高の実践例でした。そしてご自分の代わりとして、「聖霊」を私たち一人一人に送ってくださったのです。
 それで、ここがポイントなのですが、私たち一人一人に住まわれる聖霊なしには、私たちたちには愛する力がないのです。クリスチャンになる前に、もし自分に愛が有ると思われた瞬間があるなら、それはフィリア(友愛)とかストルゲ(家族愛)、エロスという人間的な愛です。私たちの内にある聖霊は、私たちをさらにキリストに似た者にすることがおできになります。神の愛はいつも選択と行動を伴い、神の愛の力を私たちに教えてくれるのです。

 だからもしクリスチャンに誰か嫌いな人、敵と思える人がいたり、またはどうしても好きになれない人がいたとするならば、それは霊的に非常にまずい状態です。私たちは感情で相手に愛を感じていようといまいと、その人たちが幸せかどうかに関心を寄せて生きることを選択し願うのです。そしてさらに、他者を愛することを選び取るなら、神がその人の内に愛を湧かせ、その行いができるようにし、愛せるように助けてくださるのです。不可能はありません。これが私の結論です。愛は神から出、神の力と栄光は、信じるお一人お一人を通して現されるのです。すべての栄光を神にお返し致しましょう。

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