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2015年2月 8日 (日)

あなたのその力で行け

士師記  6章14節
 信仰とはヘブル11章にありますように、見えないものを信じることです。神は唯一である。全知全能にして世界を創造し、人を一人一人造られたもう神。処女が身ごもり、死人をよみがえらせ、湖の嵐を静めその上を対岸まで歩く。全盲の人などあらゆる身体障害者と病人を一瞬にして癒す。これらは常識という川を越え、決心して向こう岸の世界へ渡らなければ決して見えてこない世界です。

 パウロ秋元牧師のクリスチャンネームである「パウロ」とは、実は26聖人のパウロ三木からとられました。自分を十字架にかける奉行代理、寺沢半三郎とは幼馴染でした。パウロ三木は十字架の上でも最後までメッセージをし続けました。その最後にはこの不当な命令を下した太閤秀吉を許し、眼前の寺沢半三郎を許し、突き槍を持った役人を許しました。すべて許したのです。

 先ほど「十字架山」のことをドルカスが証しましたが、どうして浦上の山の上に、大小の十字架をいっぱい立てたのでしょう。それはキリシタン発覚のあと、全国へ苦しい旅をさせられ、各地で拷問され、大勢死に、解放されてからも飢えと疫病でさらに多くの村人が死んだ………これら悲惨な経験を恨まず、許すためでした。十字架山をゴルゴタの丘に見たて、日々見上げて、ただ許すために作ったのです。

 みなさん、許さないと私たちが赦されないのです。それだけでなく、憎しみを抱いたままにしておくと、私たちへの霊的祝福が削がれるだけでなく、それがサタンの入り口となり、囚われ人となってしまう可能性が高いのです。心の深い傷、それが膿んで憎しみとなり、私たちを破滅へと導いてしまいます。最近の中東の国際情勢など、その実例ではないでしょうか。

 信仰とは目に見えない世界を信じることです。26聖人の中のルドビゴ少年は12歳、アントニオは13歳でした。物理的には見えないものが、少年である彼らには確かに見えたのです。彼らには助命という誘惑が、実に巧妙に計算されてしかけられたのですが、永遠のパライソへの確信が揺るぎなくありました。信仰とは「信じる強固な意志」が存在するのではありません。それなら少年たちは、みな十字架から降りてしまったことでしょう。そうではなく、彼らには神がついていて、罵られ嘲られてもただパライソを見据えており、世の富や肉の命は彼らを捕らえることはできなかったのです。永遠に比べれば、すべてはただ過ぎ去るものです。これを信仰と申します。

 二つ申し上げました。サタンにやられないようにするために、徹底的に許しましょう。許す力も、パライソから目を離さない力も、私たちの内にはありません。ただ神から祈り与えられましょう。祈り求める、それが私たちの力です。祈る、信仰はその結果に過ぎないのです。祈りなのです。

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