神の愛
✝ ヨハネ 4章16節
93歳になる広島の母が三日も四日も睡眠が続くようになりましたので、月曜と火曜、急遽、様子を見てまいりました。火曜日の朝、今一度母の手を取り、耳元で何度も話しかけようと手を取った瞬間、私はこれが体温のある母との最後の機会だと感じました。夫のところに行きたいと福音を拒んできた母であり、今となってはアルツハイマー症の進行で、自分が誰なのか家族が誰なのかわかりません。
母と頭をくっつけ、手を取って祈り始めると、口から出る言葉は驚くようなものでした。これまで決して言ったことのないことを言っているのです。母は家族から見ると、嘘が多く、大いに問題のある人でした。その母を私は見下げていたのです。その母へ、なんと謝罪の言葉を私は綴っていたのです。「お母さん、これまであなたを身勝手で幼稚な母親、子どもへの愛情の乏しい親だと見下していたことをごめんなさい」「自分が理想にしていたような親でないからと、産んでくれたあなたを逆恨みしていた、情けないこの息子をどうか許してください」と。自分でも驚き呆れながら、それでも目頭を熱くしての、心からの告白をしていました。
その上で救いの祈りをしました。するとそれまで何をしても一切無反応だった母が、私の頭を「ごんごんごん」と頷くようにするではありませんか。一瞬何事が起こったのか?と思いました。すぐにこれは、私の祈りに母が答えてくれたことに気づいたのです。これは特別なことです。嘲笑われる方もおられるでしょうが、しかし私は全能なる神の力を信じます。特別なことが起こったのです。
私がここで強調したいことは、「悔い改め」と「許し」です。バプテスマのヨハネ以来、神の国はまず「悔い改め」から始まるのです。今でも私たちは、赦され続けられる必要があります。神は愛です。繰り返す過ちや、これまで気づかなかった罪でも、それを心から悔い改めるならば、神はそのすべてを赦してくださるのです。それは一匹の小羊が見つかった時のように、神にとって大いなる喜びの時なのです。神の愛を人間の愛で推し量ってはなりません。その独り子イエス・キリストを人に賜うほどに広大無辺なのです。
私はかつて心から悔い改めた時、あわれみによって神の言葉を見ました。今また悔い改めた時、神はこの者の願いを聞いてくださいました。悔い改め、あわれみを求めるならば、神の愛は大きく注がれるのです。心から悔い改める者は、神のあわれみによって祝福の逆転を受けるのです。
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