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2015年3月15日 (日)

私たちの格闘

エペソ 6章12節
本日の聖書で格闘が出てきますが、誰と格闘するのか?ヤコブのように神との格闘なら祝福を得られるでしょうが、相手はサタン(悪魔・悪霊)です。霊的な存在は四つあります。神・天使・人・サタンです。この中で人だけが肉体と霊とのハイブリッドです。このハイブリッドゆえに人は、神とサタンと戦いの主戦場になるわけです。つまり人の体や今の世界という可視的な舞台で、永遠の存在である霊の争奪戦が行われているのです。神とかサタンとかいう「霊的存在は無い」とされる方が多いのですが、以下の四点において、これは誤りです。

 第一に聖書が創世記の3章から述べています。第二に、イエス・キリストご自身が悪霊の追い出しなどを通して、はっきりと対応しておられます。第三に、土台は聖書ですが、見分けて行くならば、現実の存在として彼らの働きがあることは自明のことです。第四に、パウロやペテロ、主の兄弟ヤコブがサタンという霊的な存在に対して、「立ち向かいなさい」と明言しているのです。無視するのでも、逃げるのでもなく、サタンに対し立ち向かうことが主の御心であります。

 しかし何の準備もなく、素手で立ち向かったのでは愚かです。格闘であり命がけの戦いなのですから、ちゃんと武具をつけ、戦いの訓練を受け、一人前の兵士として召された上でのことです。この辺りのことをこのエペソ5章は教えています。まず戦いには武器と防御具があります。この絵の通りです。

 見ていただければおわかりのように、基本は防具で、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を運ぶ靴、救いの兜であり、信仰の大盾です。これらの防具に共通していること、それはキリストにあって罪が完全に赦されているということです。私たちが、すべての罪を神に告白したつもりいても、実は自分が気がつかない罪というものが大きく残っていたのでは、大穴の空いた防具では使い物になりません。自分は気がつきませんが、敵であるサタンはわかっているのですから、なおさら要注意です。えてして被害者意識、心の傷がこの気づかない罪を覆っているふたです。戦いに出るのに、神によって完全に赦され義とされる取り扱いを受け、訓練され、召されて立たなければいけない理由がここにあります。

 みなさん、私たち一人一人はやがて神の兵士として立ち、神の力によって霊的な敵に「立ち向かい」、最後には勝利をあげて栄光を神に帰す使命があるのです。このことを聖書では証人と言うのです。力は神のものであり、決して自分に頼らないためにも、十字架に死に、十字架を取らなければならないのです。アーメンでしょうか?

 最後に注意事項を一つだけ言い送ります。人類の始まりであるエバがサタンの声を聞いて誘惑に罪を犯したように、人間よりはるかにまさる悪巧み者、ペテン師のサタンと会話してはいけません。そうではなく、キリストでさえもサタンに対し、神の言葉である「聖書」の御言葉だけで論駁されました。私たちの唯一の武器は神の言葉なのです。有効で適切な御言葉の剣をいつでも打ち出せるよう、聖書に慣れ親しみ、言葉を蓄えておきましょう。祈りをもって聖書を自分の内に、己の肉とさせていただきましょう。剣が研ぎ澄まされ、力が増し加えられ、強力なものとなるために。

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