愛し、ねたまれる神
† ヤコブ4章5節
本日のヤコブへの手紙4章5節は、難解なところです。
難解さの第一はこの引用箇所が聖書中に無いことにあります。ヤコブが聖書としたものが現代では紛失したものなのか、あるいはヤコブが聖書全体から要約して言ったものなのか、不明なことです。
次に文章が NKJV で「The Sprit who dewells in us yearns jealosu?」と人間的に見るならば、ねじれているところにあります。
「神は私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」。文字通りに読んだのでは、以下の通りになります。十字架を信じる者のひとりひとりに分与されている聖霊様を、神様はねたむほどに慕っておられるのだったら、「人間への聖霊分与を後悔しておられるのかなあ、それならいっそ、早く招集をかけて元に帰らされたらよいではないか」と。もちろんこれは誤りです。
この箇所には別訳というものがあって、そこでは「神が私たちのうちに住まわせた御霊は、ねたむほどに(私たちを)慕い求めておられる」とあります。これであれば、内住されている聖霊様が、宿主である私たちの全き献身をねたむほどに求め恋い慕っておられる、という意味になって、ようやく理解できるのです。
ああ、神様は「ねたむ」という言葉を使われて、人間の心を熱く愛し、求めておられるのだ。「ねたむ」という言葉には、鷹揚な意味はない。夫婦の関係のように、お互いに相手を唯一無二のものとして第一にし合う関係である。いやそれ以上に、他者の入り込む余地も許されていない関係でもある。相手の(つまり人間の)心の中に、他の愛(世への思いなど)が入り込むことに堪えられないほどの占有し合う、濃密な関係とも言える。
十字架で独り子さえ惜しまれなかった神は、その対象である私たちを、これほどまでに愛してくださっているのだ。全宇宙を創造し、天地万物を運行され、あらゆる命を支配される神は、信じる者ひとりひとりに助け手のご聖霊様をお送り下さるだけでなく、その心を熱く求めてくださっている。あなたは「うっとおしい」と感じるのだろうか?それとも「無上の愛」を感じるのだろうか?このお方に私たちは返事をしなければならないのだ。
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