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2015年4月19日 (日)

忍耐によっていのちを勝ち取る

† ルカ 21章19節
 忍耐は信仰とセットでよく語られています。また神のことば、その計画の成就を見るには堅く信じること、信仰の対応をすることが必要であると語られているのです。またルカ伝の21章では、「あなた方は、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます」とあります。逆に言えば、終末の患難期には、忍耐がなければ自分のいのちを保つことができないという意味であります。

 しかしこれほど肝要である忍耐とは、いったい何でありましょうか?よく性格とか、人柄に見られる我慢強さを言うのでしょうか?それとも、ただひたすら耐え続ける特殊な人、その力のことを指しているのでしょうか?もし忍耐がそのようなものであれば、私などは その欠けらもなかったといえるのです。
 忍耐という言葉はあっても「自分には忍耐力がある」と思っておられる方は、自分の経験から推しても少数派なのではないかと思われます。私の場合、家族も、仕事にも希望を失って、その怒りを誰もいない早朝のドングリ林の中で、夜遅い広い河原の中でただただ、神に向かって叫び続けていただけでした。「ああ、あなたから祝福を受けるべき家庭が、どうしてこのような目になるのですか!」「神よ、これはあまりにも理不尽です」と。信仰があって耐えていたのではなく、ほかにぶつけようがなかったからです。
 しかし時が来て、語られていた言葉通りの結果に試練が終わった時、これは忍耐の力の有無では無く、ただ神の側の愛とあわれみであったことがわかりました。「災い転じて福となる」ではありませんが、神は試練を通して、これまでとは比較にならない祝福と、天への希望を与えてくださったのです。

 では最後に忍耐とは、を定義してみたいと思います。忍耐とは、神がしてくださっているものです。では私たちにできることとは何でしょうか?それは私のように文句をぶっつけるにしても、どのようなことがあっても神に背を向けないということ。日々御言葉に学び、デボーションという神との交わりを欠かさないということです。神様だけが一縷の望みでしたし、それにしがみつくしか方法がなかったのです。もし、つらいと感じたこの試練がなければ、私の高慢な自我は打ち砕かれることはなかったことでしょう。神は最善のことしかおできになれないことを、堅く堅く、信じていただきたいと思うのです。

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