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2015年5月17日 (日)

あなたの信じた通りになるように

マタイ 8章13節  
 ローマ軍の百人隊長とは、ユダヤ人にとっては征服者であり、民族の敵です。それなのに長老たちがそろって代わりに参じる、これは普通のことではありません。この百人隊長は、恩讐をこえ、ユダヤ人から敬われるにふさわしい人でした。カペナウムに現存する会堂遺跡は、少し後の時代のものですが石造りの壮麗なものです。このような公共物を建てるには、財を惜しんではできないことでしょう。奴隷制があった時代、ひとりのしもべに過ぎない者を癒そうとする百人隊長、当時としては希有な人物でありました。イエスに対しても「お呼び立てする資格は私にはありません」と謙遜の限りを尽くしました。イエスの神的権威を正しく認識し、へりくだった姿勢をとったのはユダヤ人ではなく、外国人の百人隊長でした。これは福音がそれを待ち望んでいたユダヤ人にではなく、全世界の異邦人にもたらされていく予表ともなりました。

 神から賞賛された百人隊長は、財産にこだわらず、人をその国籍や身分では見ていませんでした。また直接見て確かめたわけでもないのに、確かに神からのものを正しく見分けることができました。人間という存在は、自分の取り柄(価値)をいつも求め、絶えず高めようとしています。財産とか、血筋とか、社会的な地位、美貌・・・・などです。このように世に価値を見ることは、世を超え、世に属さない神を理解することはできませんし、その恵みに与ることができないのです。 

「あなたの信じたとおりになるように」とイエスは言われました。私たちはいったい何を信じて自分の拠り所としているのでしょうか?信じているものは世なのか、それとも神の国なのでしょうか?世に価値を見出す者は、信じたその通りの結果になることでしょう。   

しかしクリスチャンはこの世ではなく、ただ神を見、御心だけを求めます。世での肉体の命を終えた次に来る神の国が本命なのです。それ故に、殉教すら厭いません。百人隊長は祭司や律法学者のように、世の自分の富を守ることが大切ではありませんでした。キリストに対する態度から、百人隊長は単に癒やしだけでなく、神の力、救いをも見て取っていたと私は思います。長老たちを言葉だけをいただきに遣わす、そこに信仰の告白を見るのです。「あなたの信じたとおりになるように」とは「あなたがたの信仰のとおりになれ(マタイ9:29)」のことです。   

全世界を失っても補って余りある永遠の命があるクリスチャンが、なぜ自己否定的になるのでしょうか。隠しようもない喜びの笑顔があふれて当然なのです。老化して体が衰えるならば、天の国での新しい体を待ち望む喜びがますます強くなることでしょう。あなたの信じた通りに、あなたの信仰の通りになります。
 私たちは世のものではなく、神の国に生きる者であることを、どれほど感謝して良いかわからないのです。ハレルヤ

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