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2015年5月10日 (日)

イエスは人であり、神である

ルカ 1章37節 

 今日は三位一体の神、その中で特にイエス・キリストという人であり神であったお方について学んで参ります。なぜならキリスト教の成立当初から現代に至るまで、サタンによる攻撃の核心部分だからです。ですからクリスチャンはこの点について、はっきりした確信を持っていなければなりません。

 まず数あるメシア預言から、「処女降誕」の一つに絞って取り上げましょう。キリストが生まれる七百年前の人物であったイザヤは「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける(イザヤ7:14)」と、処女から神が生まれることを預言しています。
 これはイエス・キリストにおてい成就しました。信ずべき根拠は第一に、マリヤに語られたように「神にとって不可能なことは一つもない」からです。神にとって、処女から子どもを生まれさせることぐらい、何でもないことでしょう。次に神の子が、人間の営みによって生まれるということはあり得ないのです。肉から生まれるものは肉であり、滅びるものです。しかし神は永遠です。マリヤの胎から生まれはしましたが、神の子であり、罪を負った人間の子ではありませんでした。さらにマリヤやヨセフの系図を見るなら、ダビデの家系からメシアが誕生するという預言が成就していることがわかります。

 次に過越の祭という面から見ていきましょう。エジプトを脱出してからというもの、イスラエルの最大イベントは過越の祭です。傷もしみもない、よく吟味された一歳前の小羊を祭りの前日に犠牲にします。イエスの十字架は、祭りの前日の金曜日でした。祭りの後では意味がありません。イエスは人ではなかったので、ただの一度も罪を犯されなかった人でありましたから、完全なる犠牲の小羊でした。

 全人類の罪の身代わりは、罪ある人間では値しません。石狩峠での永野信夫のように、何人か、数十人までは助けることが、あるいはできるかもしれません。ところが宇宙を造り、地球を造り、人類を創られた神が身代わりの犠牲となってくださる、不足があるどころか恐れ多いことです。(参:1コリント5:7 )この点からもイエスというお方が、人であると同時に神であらねばなりませんでした。神の子であったからこそ、私たちの罪が赦され、天国入りを許されるのです。
 また人でもあったということは、私たちの弱さをつぶさに知っておられると言うことです。決して裏切らないと誓ったペテロを単に赦すだけでなく、使徒のリーダーとして最後まで用いられた神は、全能の父なる神の右の座に座し、常に私たちを執りなしてくださっているのです。

 人であると同時に神であった、このことを常識や既知の知識・理解を基に賢明に判断できる人々は、この理解しがたいことを信じることができません。しかし神にしか希望がない人々は、喜びと希望を持って、この超自然的な事実を受け入れることができるのです。

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