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2015年7月 5日 (日)

聞く者は生きる

ヨハネ 5章25節 
 本日はクリスチャン対象です。イエス・キリストを信じ、バプテスマを受けた後、私たちは信仰生活をいかに過ごすべきなのでしょうか?
 「証人となる」「神を愛する」「礼拝し、賛美する」などが挙げられるでしょう。私は「神に聞き従う」ことを一番に挙げたいと思います。

 でも同感の兄弟姉妹でも実際のところ「本当に自分は神に聞いて従っている生活をしているのだろうか」と自らを疑問に感じている方がおられるかも知れません。今朝の聖句にあるように、「聞く者は生きる」とあります。神の声を聞いていないからと言って、救いが無効になるわけでも、神の国に行けないわけでもありません。ただ、御霊の実を結ぶと言った、真のクリスチャンとして生きているとは言えない、そういう意味であります。

 御霊の実のあらわれとは愛、喜び、平安、寛容などですが、神を信じていながら、内には落胆や嫉妬、憤り、敵意というものがあり、不安な状態が続くようでしたら、御霊の実どころか、肉が心にあるのですから、悔い改めや新生が求められるでしょう。それでは聞き従う以前の、自分の思うままの歩み、肉の生活をしていると言うことになります。「聞く者は生きる」とある、クリスチャン生活の醍醐味は、自分の生きたい人生を生きるのではなく、それを捨てて神の計画、御心に従って与えられた使命に生き、全うする人生です。

 ではキリストが父なる神に従われたように、私たちもまた文字通り神を神とし、主として崇め、そのしもべとなって、聞き従う生活を始めるためにはどのようにしたらよいのでしょうか?
まず「神は今もひとりひとりに語られる」ということを信じなければなりません。突然サムエルのように、またパウロのように、また最近のある牧師の証し「Go to the Churh !」と神は語られたりもしますが、神の言葉を聞く多くの場合、本人が語られると信じているか、どうかで格段の差が生じてくるようです。

 私たちクリスチャンは神の子です。父は子に語ろうとされており、子も父に聞き従おうと静まって、熱心に耳を傾け、実際に聞こうとしなければなりません。これは「みこころ」なのです。ただ、子に罪があってはなかなか開通しません。本人も気づかないような罪が隠されて障壁となっている場合もあるでしょう。悔い改めがそのポイントですし、「語ってください」と祈り続ける時、神の方で原因を示されることもあります。熱心に祈り求め、示されることをするという、謙虚さ従順さも必要です。私たちにはわかっていなくとも、神は私たちの弱さも、問題も、罪もなにもかもご存知です。願い求めるならば、みこころですから、一つ一つ神は取り扱ってくださり、必ず応えてくださると私は信じます。祈祷院なども、場合によってはお勧めします。

 最後に私たちは自分のために生きるのではなく、神の栄光と誉れ、その賛美のために生かされています。「神に聞き従う」とはそのための証人として用いられることであり、どんな些細なことでも自分のためではないことを確認しておきたいと思います。

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