私を新しくしてください
† 詩篇 51篇10節
唯一の真の神を信じるクリスチャンでありながら、なかなか「古い人」を脱ぎ捨てられない人がいます。意識するかしないかは別として、心の奥底ではきっとそのことで悩んでおられると推察します。これはそのような兄弟姉妹への一つのお奨めです。
私たちが行く天の御国は、古い人のような肉的な人間の行くところではありません。もしそうであったなら、たぶんそこは思い描いていた所とは違うことでしょう。私たちの目標は神の国、天の都エルサレムに住まうことですから、これは取り返しのつかない失敗です。
昨日の横浜カリスマ聖会で秋元牧師は<だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(Ⅱコリ5:17)>をもとに、次のように仰いました。「それなのに、新しくなっていない」人がいます。どうすれば新しくなれるか、その方法として以下の二つのことを挙げられました。
1、<心の一新によって自分を変えなさい。(ロマ12:2)>を適用し、思索を自分でなく、信仰に立って一新すること。
2、隠れて粉を打っていたギデオンが、神に聞き従って勇者へと一変したように、「聞き従いをしない と変化は起こらない」ので、神に聞き従うこと。
私はこれに補足の意味で少し付け加えをさせていただきます。
A:サタンはだましの名人です。他人をだますより、宿主であるその人の自分とは?という自己像を偽ってより高く認識させ、ために常に不安定な精神状態に陥れています。このサタンの策略を見抜き、ありのままの自分をキリストの愛によって受け入れる必要があります。嘘は現実の自分とのギャップをカバーしようとして、つまり自分を守ろうとして生まれ、自分を正当化するものです。サタンと決別する決心が、新しい人に踏み出す土台となることでしょう。自分に変わる力がなくてもよいのです。ただサタンから神へスイッチする選択だけが必要なのです。
B:新しくなる力は私たちの内にはありませんが、神にはそれができるのです。このことを信じ、神に祈り求め続ける、これが私たちの力です。
ダビデはバテ・シェバとの罪を指摘され、自分の罪深さを心から悔い改めた結果、神によってきよい心と新しい霊が与えられることを切望しました。この徹底した罪の悔い改めの祈りこそ、新しくされる熱意の原動力です。あなたにはそれがありますか?
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