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2015年8月 2日 (日)

神の言葉を受ける

エペソ 6章12~17節

 神の言葉を、心から熱心に求め、受けとっていく。これは私たちが天へ行くために、御心をなすためです。このたびの白馬では「律法と信仰」が語られました。ここで信仰とは私たちが神の言葉を受け、御心を為していくことなのです。

 またあるメッセージで語られたのですが、クリスチャンホームの子弟にとって、「聖書は神の言葉である」という疑いようのない結論があって、その結論は疑いようのない真実ではあっても、問題はその実体がなかなか自分に入ってこない・・・・いわば建前と本音のジレンマに苦しむのだそうです。しかし今回のパトモス派遣で聖霊がふれてくださり、直後、聖書のどこを開いても語りかけばかりで、ジレンマがまったく解決したという証しがありました。真剣に悩み苦しみ、神に求めるならばそれは必ず応えられ、神はふれてくださるのです。

 次のようなことを言うクリスチャンがいます。聖書は一部は神の言葉かも知れないが、全部ではない。また聖書の創世記の冒頭部分は当時のメソポタミヤ地方の神話の焼き直しである。さらには聖書にはぶつかる内容があるので、不完全で神の言葉ではない・・・・etc。これらの事をどんなに聞かされても、神を体験した者はみじんも動じることはありません。なぜなら彼らは知らないで、「ただ自分の考えを言っているだけ」であることが分かるからです。聖書は神の言葉である、これは聖書そのものが言っている真実ですが、神の声を聞き、神が聖書を通して語ってくださる事を体験すれば、「事実」としてこの真理を了解するのです。

「百聞は一見にしかず」と言う言葉があります。心から神を求め、神がそれに応えてくださるとき、私たちは例外なく新生を体験します。それならなぜ神は、私たちになかなか簡単にはふれてくださらないのでしょう。答えは簡単です。私たちが自分に絶望し、生きる力を失って、こころから神に救いを求めるようになるまで、神は私たちに試練を許され、忍耐の限りを尽くして待っておられるからです。もしいい加減な気持ちで神の言葉にふれ、受け入れないなら、神をないがしろにした事になります。心から分かるタイミングこそ「神の時」です。

 神様は私たちを天に連れて行きたいのです。しかし人間の側で神を試したり、ただ自分本位な計画や願いに神の力を用いようとしても、その願いは応えられないことでしょう。「天国へ行きたい」、しかし罪の悔い改めもなく、ただそこがよさそうだから、地獄がこわいから、では決して神はふれてくださらないことでしょう。うわべだけで熱心に神を求めても無駄です。神は心の中をすべてお見通される方なのです。

 もしあなたが、心から願い、何ものにも勝って求めるならば、あなたは幸いです。ふれてくださる時は、神の国は、遠くないからです。言葉を受けることであなたは心を一新されます。あなたの力によってではなく、神の力によって変えられることを知るでしょう。

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