しるしと不思議
† 使徒 4章30節
5月20日にリバイバルが始まりました。私はこの日本という国、この国の民がかたくなにされたのは、イスラエルの民のように、このリバイバルが来る時までだと思っておりました。ではこの日本の民にどのようにしてリバイバルが来るのでしょうか? それは大いなる聖霊の賜物、「しるしと不思議」によってです。
日本は整えられた学校制度と教育熱心な国民性があり、何ごとにも知性と冷静さを重んじ、工夫をしないではおられない国民性でもあります。つまり見えること、実証的なことには関心がありますが、逆に見えないことは容易に信じようとはしません。別の言葉で言い代えると、頭で考える習慣があり、見えることだけを信じ、非宗教的であります。このような民が神を信じるには、一度見える世界、各人の知性の限界を超えた、見えない世界というものを見れば、それがその人の魂へのチャレンジとなります。つまり誰もが認めるしかない神の奇跡によって、日本人の知性を打ち破るのです。さすれば日本人は霊的な存在、(神またはサタン)が本当に存在していることを認めるか、さもなくば、受け入れられないので何とかしてそれが奇跡でない理屈を考えるしかありません。つまり日本の後の雨、リバイバルは、聖霊の賜物が開かれることと大いに関連すると私は示されているのです。
では「しるし不思議」を聖書で見て参りましょう。使徒の3章2節に「美しの門」の前に、一人の足なえの男が座らせてもらっていました。美しの門とはエルサレムの街に入る七つの門でもなく、また神殿の丘に入る門ではなく、神殿そのものの入り口にあたる門だと言われています。つまり神殿に入るユダヤ人は残らずこの男を見ていると察してもよいのであり、その男が瞬時にイエス・キリストの名によって癒やされたで、何と五千人の人が救われました。これは使徒による伝道史上、最大の成果となりました。
また弟子たちも、この「しるしと不思議の力」を使徒4章30節にある通り、切に祈り求めています。
「・・・御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした・・・とあります。祈り求めるならば、御心ならば、これは与えられるのです。
そして今が、5月20日以後の今が、まさに、<御心の時>なのです。
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