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2015年8月23日 (日)

愛を追い求めなさい

1コリント 13章~14章1節 
 昔からこの第1コリント13章は有名な聖書箇所で、結婚式でよく読み上げられる所です。  
愛は寛容、親切、ねたまず・・・・自慢せず、高慢でなく、礼儀正しい。自分の利益を求めず、怒らず、受けた悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜ぶ。すべてをがまんし、すべてを信じすべてを期待し、すべてを耐え忍ぶ。愛は決して絶えることがない。

 若い時分は、これを聞くたびに「愛って素晴らしい! これを目指して自分たちも頑張ろう!」と感激して思ったのですが、親となり、お爺ちゃんと呼ばれても相応な年代になると、現実は愛とほど遠く、到底不可能なことだと思うようになって来ます。
 しかしこれは大変な勘違い、見当違いでした。特に8節「愛は決して絶えることがありません」を考えてみましょう。どうして他の賜物に比べて愛は絶えることがないのでしょうか。実は「愛」とは、賜物と同様に神から与えられるものなのです。自分の努力で素晴らしい「愛」ある人間になろうとしていた私は、大変な思い違いをしていました。愛は神から生まれ、与えられるものなのです。ですから14章の頭に、「愛を追い求めなさい」と神が勧めておられるのです。神は愛そのものであり、私たちは神から「愛」を注いでいただく存在なのです。ですから熱心に「神からの愛」を追い求める存在でもあります。この求めの祈りは御心ですから、聞かれるのです。

 こうして愛は、人間が自分のものとして誇ることのできないものであって、神の愛という1コリント13章の神の完全な御性質が現されていくのです。
 ここで一つ疑問が出てきます。異言や預言などの聖霊の賜物はキリストの再臨以降は廃れるのに比し、愛はなぜ絶えることがない(いつまでも続く)のでしょうか。再臨以後、神様を目前にし直接神様からお言葉を聞けるのですから、これまでのような人を介しての預言などは必要なく、廃れるのは当たり前です。では「愛」は、どうして廃れることなく、続いて行くのでしょうか?  

 これは「愛」と言うものが分かっていないための疑問です。聖霊の賜物は神から受けたなら、そのまま人間の解釈を交えず人々に伝えていくもので、宣教という明確な目的があるものです。ですから再臨という福音宣教の必要が終了した時点では不要になります。けれどもエデンの園に神が日毎に訪れてくださったように、愛には終わりとか、面倒とか省略とかはなく、互いに「進化する交わり」が本質です。愛は神から来て、私たちはその愛を受け取るだけでなく、同時に拙Jンmkいながらも神にお返して行くという、双方向のものです。ですから聖霊の賜物のような一方通行のものとは異なり、交流して生まれてくる愛は、決して廃れず、絶えることもないのです。

神の愛を、熱心に追い求め続けましょう!

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