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2015年8月 9日 (日)

キリストについて行く

マルコ 8章34節

 人はそれぞれ違います。違うはずなのに、なぜか人の願いはみな、似ています。私は少年の時から夢想をしながら寝る癖がありました。状況設定は変わっても、ストーリーはいつも同じでした。恵まれた育ちの若者が、愛に飢え渇き、それをゲットするというものでした。
 みなさん。できたら自分が、国王や貴族とは行かなくても、少なくともまあまあの家庭の出で、スタイルが良く美形で、その上才能や美点を持った人物で生まれたかったとは思われなかったでしょうか? 映画や小説の主人公はそんなヒーロー、ヒロインばかりです。
 神様が私を造られた際、不出来な作品、欠陥品なのに間違ってこの世に送り出されてしまったのはありません。考えてみてください。もし全員が理想通りでしたら、世の中の人は工場製品のように、みな同じ顔、同じ容姿の人間ばかりになっていたことでしょう(笑い)。

 むかしむかし、人がまだこの世に存在しないとき、この上もなく美しい素晴らしい大天使が造られました。明けの明星とも呼ばれ、全天使たちの1/3も任されていました。しかし彼は外見や能力は見事で完璧だったために、やがて、本人も気づいていなかったと思うのですが、ある問題を背負うことになりました。高慢という心です。人より優れている長所や能力を所有していて、それに頼るな、むしろそれ故謙遜になれ、なんてことは、至難の業、むしろ不可能です。だから美人って冷たい感じがするじゃあありませんか。スタイルが良い人は、それが分からないような服装で押し通すことはまずないと思います。謙遜を忘れ、神のようになろうとした美の大天使は、多くの天使を引き連れてサタンとなりました。肉の体を持つ私たち人間は、どうやって高慢から逃れられるのでしょうか。
 新約聖書に「富める若人」の話が出てきます。律法に忠実で、永遠のいのちを求めていた彼も、結局キリストに従うことができませんでした。財産を捨てることができませんでした。この世と天とに兼ね仕えることはできません。恵まれて生まれれば、その財産を自分から捨てることは、至難の業で本当に困難です。

 自分は貧しいと思う人、よかったですね。天国はその人のものです。世での富を捨てる障害は軽いのです。自分には欠けがあると思う人、それは素晴らしいことです。これさえなかったら、とずっと思い続けていたそれが、実は永遠のいのちを得るあなたの宝です。神は決して不出来の作品、欠けのあるものを造られたのではなく、あなたを高慢から救い、罪を悔い改めさせるための神の天与の欠けなのです。永遠のいのちは、「心の貧しい者は幸いなり、天国は彼らのものである」の御言葉の通りなのです。自分を捨て、自分の罪という十字架を負って、キリストについて行きましょう。

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