偽りは身を滅ぼす
✝ イザヤ 5章18節
ああ。うそを綱として咎を引き寄せ、車の手綱でするように、罪を引き寄せている者たち。
私たちクリスチャンには、聖霊なる神が居られます。この方は義なる方、決して罪を犯されない方であり、聖なる方です。したがってこの方に近づき、相見えるためには、罪があっては不可能です。もちろん天国でもそうだと思っています。つまり罪ある者は、神から遠い存在であり、親しくお交わりすることができません。
しかし私たち人間は皆罪人なのです。罪人がどうやって神に近づくことができるのでしょう・・・・不可能を可能にしたのが十字架であり、神のあわれみです。神とその独り子がタッグマッチを組んでくださって、阻む者に対して勝利してくださったのです。ですから神を信じ、子とされた者は、どんな罪でも心から悔い改めるなら、すべてが赦される特権を有しているのです。
しかし、自分の罪深さに気づかないようでは、福音の恵みにも与れず、たとえクリスチャンであっても、神を知ることは困難です。悔い改めることができないので、罪が山積みとなっているからです。そのような人の特徴は、自分の梁に気づかないで、人の目のちりには気づくと言うことであります。(ルカ6章、マタイ7章)
「うそ」に話を戻しましょう。聖霊なる神がおられるなら、うそに良心の呵責を感じますし、主に従おうとして新生していれば、どんなに小さなうそでも明確に「あなたは嘘をついている」と示されます。イエローカードやレッドッカードが提示されるわけです。これは天に罪として、報告されているという感覚になります。非常な苦しみ、辛さがわいてくるので、謝罪しなければ身が持たなくなります。
○うそをつく者は、信用されません。しかし人はあなたにうそが少し混じっているから、あなたを信用しない、などとは言ってくれません。心からの友も自分を偽る者、嘘つきにはできないことでしょう。
○うそをつく者は偽りで固めているので、真の自分がわかりません。自分が漂流し、すべて相対化しているので、確固たるものが無く、自分が浮き草のように感じます。その結果自殺したりするのです。偽りからは偽りしか生み出されません。
○うそは身を滅ぼします。永遠のいのちからも。これが最も大きな損失です。
ただ神によって、この罪は取り払われます。神を信じましょう。そして神に取り扱っていただきましょう。もううそは嫌だ、と。主よ、助けてください。と