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2015年9月13日 (日)

私たちはなぜカリスマなのか

Ⅰコリント 12章31節
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。

 私たち主の十字架クリスチャンセンターは、大きくわけて聖霊派の一つ、カリスマ派の教会に分類されます。カリスマ派は聖霊の賜物を用いますので、見分けのつかないプロテスタント教会から、主の十字架もこれまで大いに誤解されて来ました。現在でも検索サイトに、かなり旧聞に属する故なき批判、中傷が残っています。  私自身も30年、福音派で過ごしましたので、そのような根拠なき誤解と偏見で見ていたのです。

 ここで簡単に信仰の唯一の規範、聖書から聖霊の賜物を見ていきましょう。まず、聖書的にはカリスマはまったく正しく、聖書に反しているのはむしろ福音派なのです。
「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。」(1テサ5:19-20)、「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」(1コリ12:31)「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい」(1コリ14:1)

 こうして見てみると、聖書は預言などに代表される聖霊の賜物を「危険だ」とか、「逸脱している」、あるいは「期間限定で、すでに終わっている」とは言ってません。逆に「求めなさい」と言っています。それでもなお、同13章の「すたれる」言葉を用いて「教会が立てられ、聖書が完成したので初代教会以降は賜物は不要」と言う方がいます。それは同じ章の10節の「完全」という言葉が、キリストの再臨であることが理解できていないからです。

 これは聖霊の賜物を用いるカリスマ的教会が、実に聖書的な正しい信仰であること。また聖霊の恵みと力とを、その他の教会がいかに失っているかを物語っているのです。
 確かに今日後の雨が始まっている現在、神は聖霊の賜物を用いてこれを為そうとしておられると私は信じます。なぜなら、聖霊の賜物は教会の成長に大いに関係するからです。
 福音派の教勢は今日、受洗者の減少と退役牧師の増加によって、無牧となり、教会解散へと突き進んでいます。しかし世界と日本にも、成長し大教会となっているのはすべて聖霊派の教会なのです。もはや聖霊の賜物を受け入れない限り、教会は存立し得なくなっているのが現状です。

 そのことは賛美においてもはっきり現れています。文語体の賛美ではなく、生きて働く神にふさわしい誰にでも分かる心からの賛美が、礼拝での臨在に大きな力を発揮しています。
 もう一度確認しますが、賜物の働きを止めていると、受けるべき恵みを止め、祝福が得られません。賜物の一番強力な働きをするものが預言なのです。ですから、よりすぐれた賜物である預言を、私たちは熱心に求めようではありませんか。

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