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2015年10月11日 (日)

まったき愛を求めて

1ヨハネ 4章16節
 神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

 タラントのたとえ話で非常に気になるところがあるではありませんか。それは1タラントのしもべのことです。「しもべ」というからには、少なくとも自分ではクリスチャンだと思っていたんでしょう。しかしこの1タラントのしもべのご主人様観は、ほかのしもべとは異なっておりました。

5タラント2タラントを預かったしもべは、額は違っても忠実にオーダー通りに従って商売をしました。従うならば成功するのです。しかし1タラント預かったしもべは「あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です」と返すがてら報告しました。このしもべは別に不正をしたわけではありません。ただ主人の1タラントで商売しなさいというオーダーより、自分の判断を優先させたのです。その結果「地中に埋め、何もしなかった」のです。これはもっとも楽なことで、自分の判断を主人より優ったものにしています。このしもべは主人からタラントを預かるべきではなかったのです。

 このしもべに対して主人はなんと言ったのでしょうか? 当然のことながら、「悪いなまけもののしもべ」「役に立たないしもべ」と評価され、結果として外の暗やみに追い出され、そこで泣いて歯ぎしりすることになりました。「外の暗やみ」とはどこでしょうか? 天国ではありません。
 問題はこの1タラントしもべの主人観です。主人のことを「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だ」と見なしている点です。それで「私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠した」と自分の背信行為を正当化して言います。しかしそれは誤りであったことを成功した先の二人のしもべたちが証明しており、1タラントしもべは根拠も理由も立場の正当性もなく、ただ主人を中傷しているだけなのです。

「愛には恐れがありません(Ⅰヨハ 4:18)」と聖書にあります。神は愛です。神を畏れることはあっても、この恐れという言葉を使うことは、クリスチャンにはありません。なぜなら「全き愛は恐れを締め出す」からです。すべてが完全に十字架で赦されている私たちに、恐れはなく、神の愛で満たされています。恐れる者は神に属し、十字架での贖いを受け入れていない、刑罰が下る者です。私たちはまったき愛に生きる者であります。

 天のお父様を怖いと思っておられる方、その方は間違ったお父様観を持ち、間違った関係におられます。一言で言えば罪が残っているので、恐ろしいのです。天のお父様と正しい関係を持ってください。そう祈ってください。

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